第214話 アニー・チャップマン殺害現場
スピロは話題を変えようと、ゾーイにアイコタクトした。ゾーイはすぐに察してくれた。
「お姉さま、アニー・チャップマンさんが殺されたのは何時ごろなんだい」
「証言や検死の結果から、5時半から6時頃と言われています」
「場所は?」
「ハンバリー・ストリート29番地の貸間長屋の裏庭です」
ハンバリー・ストリート29番地の貸間長屋の裏庭
大通りから脇にはいったハンバリー・ストリートは、おどろくほどひとが少なくなっていた。
「だれもいません」
レンガ造りの三階建ての貸間長屋の裏庭に向ったスピロは、そこにあまりにもひとけがないことに驚いた。
「まだ来てないんじゃないのかい」
「ですが、近くにいてもおかしくないはずです。さきほどあたりを見回りましたが、アニー・チャップマン嬢のすがたはどこにもありませんでしたわ」
「建物の中に入っているのかもしれません? 街娼だからといっても、なんでもかんでも外ですますっていうわけじゃないですから」
ネルが助言を申し出た。
「ネル様、アニー・チャップマン嬢は簡易宿泊所に泊まる金も持ち合わせていないのです。どこか場所を借りるような余裕はないと思います」
「まぁ、たしかに……」
「チャップマンさんが殺されたのは、この場所、この時間で間違いないんだろ?」
セイが再確認してきた。
スピロは隣家との仕切り塀の下あたりを指さして言った。
「はい。まちがなく、ここで殺されるのです。午前6時頃にこの建物の最上階に住む市場の馭者が出勤のため、裏口から出ようとして発見するのですから」
「ぼくたちが先回りして、ここでおしゃべりしているからじゃないか?」
「ええ…… それはあり得るかもしれません。どこかに潜みましょう」
スピロはセイに促されるようにして、隣の貸間長屋の裏庭のほうへむかった。仕切り塀があるものの、ひとの気配くらいはくみ取ることができる。
スピロは仕切り塀に手を這わせながら、どこかから覗けるような穴や隙間がないかと探ってみた。だが、それらしい破損部分は見つからなかった。
ボロボロな建物のくせに——
建物に似合わない、しっかりした仕切り塀にスピロは腹が立った。
どんなささいな音も聞き漏らすまいと、スピロは仕切り塀に耳をあてた。
だがしばらく待っても、それらしい音も、なにかが動く気配も、なにも感じられなかった。




