第192話 またも切り裂きジャック候補
ジェームズは腹立たしげな顔つきで、セイをにらみつけた。そこにいる男がセイしかいないからなのだろう。セイは我関せずという顔で、視線をそらして無視した。
「まぁ、いい。来月またこっちによるから、そんときまた寄らせてもらうよ」
そう言い捨てると、ジェームズはそそくさと足早にその場を立ち去っていった。
姿が見えなくなると、ピーターが一番最初に口をひらいた。
「なに、ネルさん。あんなのと付き合ってたの?」
「そうよ」
ネルがため息交じりに言った。
「親子ほど年離れてるけどね。商船のエンジニアやっててけっこういい金落としてくれるから、付き合ってたんだけど」
「ほかのオンナに浮気されたんだ?」
「そういうことよ」
ピーターがさりげなく交わす大人びた会話に、セイもエヴァも目を丸くしていた。もちろんそれはスピロもおなじで、あらためてこの街では『子供』であることが許されない場所なのだと痛感させられる。
ジェームス・マシュー・バリーの描く『ピーター・パン』とまったく逆の世界だ。
ここでは子供であることではなく、大人であることを強制される。
ふと、スピロはジェームズという男になにかひっかかるものを感じた。
「ネル様。あのジェームズという方のお名前はなんと言います?」
「んー、たしか、サドラー。ジェームズ・トマス・サドラーです」
スピロは反射的に天を仰いだ。
その様子にすぐさまセイが気づいた。
「スピロ、どうしたんだい?」
スピロは手でセイとエヴァを招くと、ピーターとネルからすこし離れた場所へ移動した。
「ネル様に聞かせたくありません」
「どういうことですの?」
「ジェームズ・トマス・サドラーという御仁は、ネル様殺害の犯人として逮捕され、切裂きジャックとして裁判にかけられた人です」
「また切り裂きジャック候補が?」
セイがおどろくというより、すこしげんなりした調子で言った。
「いえ、一度は切り裂きジャックだとされて、暴徒たちにつかまりリンチにあいかけたのですが、ネル様の殺害容疑もふくめて、無罪が証明されています。彼は商船員だったので、船の乗船記録がアリバイになったのです」
「なんだ。もうひとり候補が増えたと思ったのに」
ふいにすぐ下からピーターの声がした。
いつのまにか忍び寄って聞き耳をたてていたのだった。
「ピーター!」
スピロが声をあげた。
「わかってるよ。ネルさんには言わないさ」
「ちょっとした口止め料さえいただければね」
スピロは思い知らされた気がした。
この街は大人であることに加えて、悪人になることを強要する街だ——




