第26話 ティゲリヌス、あいつが悪魔だ
セイを取り囲んだ兵士たちが一斉に剣をふりおろした。
が、兵士たちのふりおろした先にはなにもない。
一番最初に戻ってきたのは、マリアだった。マリアは『ナイトキャップ』装置のゴーグルを引きちぎるようにはずすと、水槽から飛びおきて、ふたつ離れた聖が沈んでいる水槽にむかって突進した。ガラスのむこうから、かがりが大声で叫んでいるのはわかったが、マリアは一切聞く耳は持たなかった。
マリアは聖が横たわっている水槽に手を突っ込んだ。胸ぐらをつかもうとしたが、半身裸だったので一瞬ためらったのち、髪の毛を鷲掴みにして、聖のからだをもちあげようとした。
「マリア。やめて!」
かがりが水槽に飛び込んでくると、マリアを突き飛ばした。たまらずマリアはうしろに転がり、水槽のなかで尻餅をついた。その位置はちょうど横たわっている聖のすねの部分にあたったので、マリアはやんわりとだが尻を聖の足に打ちつける形になった。
「なにをするの!」
「こいつが、聖が強制的にオレたちをひきあげたんだ」
「だからなに!!」
マリアの強い口調に対抗するように、かがりもいきり立つ。
「オレたちはまだ戦えたんだ。それをこいつが無理やりに……」
「ちょっと、マリアさん。帰ってくるなり、諍いですか?」
エヴァが起き上がりながら、マリアを諌めてきた。
「おい、エヴァ。おまえだって、不満に思っているはずだ」
「そうですねぇ。まだ任務が完了していませんからね。これではお金がいただけません」
「だからと言って、いきなり殴りかかっていいわけじゃないでしょう!」
かがりがマリアの水着を掴んでひっぱりあげながら怒鳴った。へんな角度で持ち上げられているので、乳首の先が水着の脇から見えかかっているのが癪だったが、マリアはそのままの姿勢で、かまわず悪態をついた。
「オレたちはこいつとちがって、組織を背負ってるんだ。中途半端な真似して逃げ帰るのは許されねぇんだよ」
「別に中途半端じゃないよ」
ふと足元を見ると聖が水槽からからだを起こして、ゴーグルをはずすところだった。
「あのままだと、みんな力をうしなってた」
「力をうしなうったぁ、どういうことだ?。聖!」
マリアはまだかがりに水着を掴まれて、からだを持ち上げられていたが、その姿勢のまま顔を向けもせず訊いた。
「スポルスのネロへの怨念が消えた」
「消えたですって?、聖さん。スポルスさんはあんな目に遭わされて、ネロを恨んでいたしょう」
「おい、聖、おまえ、あそこでなにをした?。おまえは、ネロを斬り殺そうとしたんじゃねぇのか」
そのことばに動揺して、かがりのマリアを掴む手が緩んだ。マリアは無言のままかがりの手を振り払って、今度は聖のほうへ向き直った。水槽から起き上がろうとする聖を、マリアが上から睨みつけると、聖が観念したように言った。
「スポルスにネロを殺させようとした……」
「聖、ちょっと待て。おまえがネロを殺せば終わりだったんじゃねぇのか」
「ちがう。スポルスが自分の手で『心残り』を晴らさなきゃ、あの昏睡病のイタリアの少女の魂は救われないんだ……」
「それで聖さん、スポルスさんはどうしたんです?」
エヴァが先を急がすように、ことばを挟んだ。
「残念だけど、スポルスは実行できなかった……。まだ迷いがあったんだと思う……」
「それだけでオレたちの力がなくなるのか……」
マリアがまだ納得がいかず語気を荒げた。聖はすこしためらった様子をみせてから、一度おおきく息を吐き出してから言った。
「あそこに、トラ……、いや『悪魔』がいた」
「ティゲリヌス、あいつが悪魔だ」
マリアはそのことばの意味することがすぐにわかった。
「そうか……。それなら逃げて正解だな」
マリアはすでに落ち着きを取り戻していた。というより冷や水を浴びせられて、消沈したという気分だった。
「聖さん。ティゲリヌスは強かったですか?」
マリアがおずおずと訊いてくると、聖は「あぁ、かなり強かった」とひと言だけ呟くように言っただけだった。マリアはその言葉尻だけで、本当に自分たちが危なかったのだと思い知った。
あそこは『力』をもたない者がうろついていい『時代』ではない。
マリアはポカンとした顔をして脇に立ち尽くしているかがりに気づいた。
「おい、かがり、さっきまでの剣幕はどこへ行った?」
「あ、え、あーー。いえ。聖ちゃんたちがあんまり訳のわかんない話をしているから……」
「かがり、聖のためとはいきり立ちすぎだ。おかげで水着が伸びちまった」
そう言いながら、マリアはかがりに掴み上げられていた肩ひも部分をもちあげてみせた。
「あ、いえ。ごめんなさい。つい……」
「まぁ、いい。オレたちは『ペタンコ同盟』の仲間だ。気にするな」