第174話 オスカー・ワイルドのフーダニット2
「参りましたな。まだ執筆を開始していない作品を褒められたり、分析されてるのは、なんとも居心地がわるいものだが……。まぁ僕ほど洗練されていれば、それくらい許されるのかもしれぬな」
「だが、オスカー。どうしてこの作品から、さきほどのような犯人像の解釈が……」
「エイブラハム。それは作品の表層をなぞっては、いきつかない解釈なのだ。僕はこの作品に、いまのロンドンの閉塞感を重ねてみせたのだ」
「閉塞感……」
「あぁ。今ロンドンは19世紀的な思想から抜けでようとしている。たとえば、エメリン・パンクハースト女史らがおこなっている『女性参政権運動』、フェビアン協会が提唱する『社会主義運動』。そしてヴィクトリア朝の理想とされたピューリタリズムの否定」
「なんと。オスカーさん。それはずいぶん不謹慎な」
マシュー・バリーがたちあがった。
「言わせてくれないか、ジェームス……」
「僕は社会的に是とされている『博愛主義』や『慈善活動』を、この作品で否定することで、人間らしい自由で、ゆたかな個性がうしなわれていくことを危惧していたのだ。いや、その理想のために、質素や勤勉であることを、ひとびとに強要するピューリタリズムは、20世紀にもちこむべきではない、いや、それを否定し『ダンディズム』を貫くことこそを、是としたいと考えているのだ」
「ワイルド様、たしかにあなたはここ『ザ・ウーマンズ・ワールド』誌をつうじても、女性の権利、女性の社会進出、そしてジェンダーの多様性などを模索してらっしゃいます」
スピロがワイルドを捕捉した。
「そして『ドリアン・グレイの肖像』でも、そういうロンドンを揶揄してみせた……」
「ああ、そうなのだよ。ドリアン・グレイは、繁栄と栄華を欲しいままにする、表のうつくしさを維持するために、貧困や悲惨、汚らしい掃き溜めをイースト・エンドという『肖像画』に押しつけている、ウエスト・エンド、そのものなのだよ……」
「だが……」
「もしドリアン・グレイのように、みにくく変貌した肖像画に改心させられ、善人になろうとしたとしたら……。裏の顔であるイースト・エンドを、表の顔のウエスト・エンドとおなじにしようとしたら……」
「まさか『負』の部分を斬り捨てて、イースト・エンドを浄化しようとしているとでも、言うのですか?」
ハーバート・ジョージ・ウエルズが思わず叫んでいた。
「あぁ…… ウエルズ君。このなかで一番若い君には、わかるのではないかね。そうでもしないと、この国は変わらないという思いが」
「あ、いや…… ええ、そうですね……」




