第166話 ブラム・ストーカーのフーダニット1
「血を見ることで快楽を得ようとしている……」
そう発言して、ブラム・ストーカーは、自分の意見に驚いたようだった。あわてて「あ、いや、これはちがうんです」と取り消そうとした。
「なにがちがうのですか?」
「あ、いえ、昨夜、私が後年執筆するときかされた『ドラキュラ』について、フロイト先生にアドバイスを受けて、つい考えてこんでいたのです。ただの三文小説にしたくなくて……。ですが、それを今回の事件の『切り裂きジャック』になぞらえたら、犯人像が見えてきた気がして、つい……」
「まぁ、吸血鬼なのだから、血が快楽になるのは当然だ」
ワイルドがなにをいまさら、とばかりに、いくぶん鼻にかけて言った。
「いや、たしかにそうなんだが…… フロイト先生は、吸血鬼の原型は女神へカテに仕えた巫女の秘義ではないか、と言及されていてね。そう考えると、この切り裂きジャックの残虐の犯行は、一種の儀式なのではないか、と思えたのだよ。女性の首を切り裂いて、その血をなにかに捧げるような……」
セイは儀式ということばに、ゾクッとした。
おなじようにそこにいる人々も、なにかいやな感覚をおぼえたらしい。だれもが口をつぐんでしまい、その場の空気がたちまち重たくなるのが感じられた。おなじ殺人には変わりないのに、なぜか重々しい気分になる。
それはあたりまえだ——
セイはすぐにその答えにいきついた。
狂気にかられてひとを殺す犯人はおそろしいが、それ以上に儀式のようなものでひとを殺す犯人はもっとおそろしい。それは人殺しが『目的』ではなく、『手段』であることが、ひとにとって理解しがたい理由だから……
人殺しという究極の『罪』を犯してまで、達成したい『目的』とはなんだ? と想像すれば、身の毛がよだつのは、人間として正常な反応なのだと思う。
「おい、おい、どいつもこいつも急に黙り込みやがって。どーいうことだ?」
沈黙が我慢できなかったのか、マリアが悪態をついた。
「マリア様、しかたがありません。この世紀末は『魔術』が復興された時代です。『ヘルファイア・クラブ』や『黄金の夜明け団』などの、秘密結社が勃興して、貴族たちだけでなく、おおくの作家や芸術家が『黒ミサ』に参加したと言われています」
スピロはマリアに言って聞かせていたが、その目はそこにいた『作家』全員にむけられていた。
こころの奥底をみすかすような目——
そこにいる面々にそういう経験があったのかは、セイにはわからなかった。
しかし、だれもがおしだまって、その視線が通り過ぎるのを耐えているようだった。




