第164話 マシュー・バリーのフーダニット2
フロイトは意気揚々と自説を披瀝したが、すぐには理解できないようで、だれも反応しようともしなかった。見当ちがいの感想を口にして、フロイトに言い込められたくない、という防衛本能でも働いているのかもしれない。
が、マリアはちがった。
「なんだ、ジグムント。てめぇか、コンプレックスとかいう、ふざけたことばの言い出しっぺわぁ?」
「ミス・マリア、コンプレックスということばを知っているのかね」
「知ってるもなにも。未来じゃあ、都合よく使われているぜ。ロリコン、マザコン、ファザコン、シスコン、ブラコン、ショタコン……。なんでもアリだ。たいがいにイカれた嗜好の連中ですら、このことばで、正当化される便利なことばだよ」
「おぉ、ひとつひとつの意味はわからんが、わが輩の提唱した概念が、そんなにも普及しているのですか」
フロイトが顔を輝かせたが、マリアは眉をひそめて、迷惑そうに吐きすてた。
「ほめてねぇーからな、ジグムントっ!」
「まぁまぁ、マリア様」
スピロがなだめるように言った。
「フロイト様の言っている女性に対するコンプレックスが動機、というのは正鵠を射ているかもしれません。性的に未熟な男性なら、娼婦という存在そのものに恨みを抱くというのにも納得がいきます」
「ではなにかね。切裂きジャックってぇヤツは、娼婦に自分の『なに』をバカにされて、凶行に及んだ、とでもいうのかい……」
スティーブンソンがおもしろおかしく茶化した。スピロは冷やかな目で、彼をにらみつけただけで話を続けた。
「たとえば『チャイルド44(トム・ロブ・スミス)』というミステリ小説のモデルになった『赤い切り裂き魔』と呼ばれた、ロシアのアンドレイ・チカチーロという男の殺人の動機は『性的不能』だったからだと言われています」
その場の全員の興味をひきつけるように、スピロは声のトーンを落とした。
「彼は思春期の頃から『性的不能』でしたが、押さえつけた相手が抵抗するのをみて、性的満足を得られたことで犯罪に手をそめるようになりました。そしてそれがエスカレートしてきて、人を殺さないと満足できなくなったのです」
「そ、そ、そうかね。それは切り裂きジャックと共通しているかもしれんな。ところで、そのチカチーロというヤツは、何人殺したんだ?」
「50人……」
スピロはこともなげに言ったが、だれもがぎょっとした顔をした。
「最低50人は殺した、とされています。そのほとんどが9歳から19歳の男女でした」
そう付け加えると、その場の空気は重たいものに変わった。




