第161話 H・G・ウェルズのフーダニット(誰が殺したか?)1
「透明人間が犯人だと。ばかばかしい。これは小説のなかの話ではないのだよ」
オスカー・ワイルドが見下すように言うと、続けてスティーブンソンが、さきほどとは真逆の態度で罵倒した。
「まったくだ。若者の意見など、しょせんこんなもんだよ。空想と現実をごっちゃにしておるもしほんとうに透明人間がいるなら、ここに連れてきてみせてほしいもんだ。ま、見えないけどな」
そう言って、うわはははは、と大笑いをした。
「しかし、自分はあの街にはいってきた人物を、全部書き留めたのですよ」
「透明人間はおりますわよ」
そう言ってその場のひややかな空気に、楔を打ち込んだのはスピロだった。
「そ、そ、それは、ど、どういうことだ?」
スティーブンソンはスピロを指さして叫んだ。大笑いしていた顔が、今は見事なまでにひきつっている。
「それは『みんなが見ていながら心理的に見えない人間』というものです」
「心理的に見えない?。それはミス・スピロ、どういうものです」
フロイトがその命題にまっさきに飛びついた。
「エドガー・アラン・ポーを始祖とし、コナン・ドイル様が確立した『推理小説』のなかでは、このような『心理的に見えない犯人』が数おおく登場します。見ているはずなのに、見えてない。まさに透明人間だとは思いませんか?」
「そ、そんなのは論点のすり替えではないか」
スティーブンソンの怒りは収まらないようだったが、スピロはまったく無視して、ウェルズのほうへ目をむけた。
「ウェルズ様。あなたはホワイトチャペル駅付近で、怪しげな人物をずっとチェックされていたのですよね」
「はい。身なりや、挙動がおかしなひとを見つけて、この手帳に書き留めていました。全員もらさずにです」
「そのなかには、フロイト様とブラム・ストーカー様がゾーイと尾行していたウォルター・シッカート様も含まれるのでしたよね」
「はい。それは書き留めています。見たことがある顔でしたし……」
「それ以外に怪しいと思った人物は?」
「あ、はい。そのほかには船員風の外国人、やたら厚着をしている髭の男、医者が持つような鞄をもった背の高い老人……」
「ウェルズ様。そのあいだに誰かに声をかけられることはありましたか?」
「あ、いえ……。声を……。あぁ、巡回中の巡査に声をかけられました。自分が不審人物だと思われて……。でもアバーラインさんの名前をだしたら、疑いはすぐに晴れ……」
「ウェルズ様。その巡査の特徴はその手帳に控えていますか?」
ウェルズは手帳を手に持ったまま、「え?」という顔をしてスピロを見つめた。
「いや、書いてはいません」
「なぜ、その巡査は容疑者ではないと決めつけたのですか?」
「だ、だって、警察ですよ」
ウェルズが同意をもとめるように、まわりの文士をみまわした。が、だれもなにも言わなかった。
「これが『みんなが見ていながら心理的に見えない人間』です」




