第22話 楽しみを独り占めってーのは、許せねぇからな
「セイさん、なにをやってるんです!。殺されてしまいますわよ」
牢屋の外壁の小窓から戦いを見つめていたエヴァが腹立たしげに声を張りあげた。
マリアはエヴァの足元付近の壁に背中をつけて座り込んでいて、セイの戦いを見ようともしていない。エヴァがくつろいでいるマリアにむかって抗議の声をなげかけた。
「マリアさん。なぜあなたはセイさんを応援しないんです?」
マリアは腕を首のうしろに組んで、おっくうそうに答えた。
「応援したから勝つわけではねぇだろ」
「それはそうですが……」
「だいたい応援するまでもねぇだろ」
「どういうことです?」
「一瞬でも剣を交えたからわかるんだよ。あいつがつえぇっていうのがね」
「でも今、ピンチです!。剣をうしなって、観衆に羽交い締めにされてるんです」
「だから?」
「だから……って。相手は無敗のチャンピオンですよ」
「人間のな!」
マリアがあきれ返るような口調で、強く念をおした。
「力量差がありすぎるんだよ。人間ごときじゃあ」
「そう…;なんですか……」
そこまでマリアに自信満々に釘をさされると、さすがのエヴァも自分ひとりが気をもんでいるが馬鹿馬鹿しくなってきた。アリーナが見える小窓から室内のほうに顔をむけた。
「おいおい、エヴァ。セイから目を離すなよ」
「なんですの。今、セイさんは心配ないって……」
「あぁ。心配はねぇよ。だがあいつはそのあとに、なにかをやらかそうと企んでやがる」
「なにか?。なんですの?」
「さあ……。ネロの暗殺か、この円形競技場の観衆の皆殺しか……」
あまりに物騒な計画が、まるで心地いい歌の調べのようにでてくるのを聞いて、エヴァはぶるっとからだを震わせた。
「まぁ、なんにしろセイがおっぱじめたら知らせろ……」
「楽しみを独り占めってーのは、許せねぇからな」
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ケラドゥスは正面から突進してくると、剣を横から大振りしてきた。その目は静謐さと冷徹さが宿った、一種達観したような光が宿っているようにセイは感じた。「負け」イコール「死」を意味する剣闘士として、いままでどんな不本意な『勝ち』ですら、甘んじて受け入れてきた『覚悟』がそこに見て取れた。
ケラドゥスの剣先が自分にむかって振り抜かれようとする刹那、セイは『光』のちからをからだに宿すと、前傾姿勢のまま前に転がった。その勢いで、自分の両腕を羽交い締めにしていた若者二人が、ひっぱられて前にとびだした。観客席から引き剥がされて、ふたりのからだが中空に浮く。
そのふたりのからだをケラドゥスの剣が横に切り裂いた。
セイは前転で地面を転がりながら、踏み込んできていたケラドゥスの足元をはらった。ケラドゥスが剣を振るった勢いのまま、からだを横にひねりながら、どう、と地面に倒れ込んだ。
セイは数回前転して壁際から抜け出すと、学生服についた泥や砂を手ではたきながら、ゆっくりと立ちあがった。ふと、右肩をはたこうとして手が止まる。
まだ右肩には、掴みしめたままの若者の腕が残っていた。
その腕は二の腕の部分から切断されて、セイの右肩からぶらんと垂れ下がっていたので、セイは腕に残ったトーガの袖を掴みあげて振り払った。右腕がどさりと地面に落ちる。
円形競技場内にわーっという興奮の声がわきあがった。セイが壁際を見ると、右腕を切り落とされてのたうち回る若者と、喉元をスッパリと斬られて絶命している若者が地面に転がっていた。みるみる地面が赤い血を吸い込んでいく。
「おい、おい、だれの血でも、見れりゃあいいってこと?」
そのとき、その血溜まりにケラドゥスの姿がないことに気づいた。
剣圧が耳元の空気を震わせる。
そこに血しぶきを浴びて、からだ中が血まみれになったケラドゥスの姿があった。セイは手に持ったトーガの袖に『光』の力を吹き込むと、布をクルリとまわして作った輪っかをケラドゥスの剣先に巻きつけた。そのままセイが布を両側にピンと張ると、ケラドゥスの剣の勢いは殺され、セイの眉間すれすれのところで止まっていた。
ケラドゥスがあわてて剣を引き戻そうとするが、固く絞まって抜けなかった。ケラドゥスがセイを睨みつけた。ふつうこの状況なら、どちらかというと焦りの表情のほうが先にたつものだったが、それでも自分の優位性を誇示しようという態度は、さすがチャンピオンというべきなのだろうか。
「なんとも感じないのですね」
セイがすぐ目の前で膠着しているケラドゥスに尋ねた。
「なにがだ?」
「今、あなたはふたりの無関係のひとを斬りましたよ。すくなくともひとりは死んだ」
「構ってられないのだよ、わたしは。先々代のカリギュラ帝と先代のクラウディウス帝は剣闘士の試合を盛大に催されたが、ネロ帝は戦車競走や演劇を奨励していてね。こちらもあとがない」
「ではネロを殺せばいいですか?」
ケラドゥスの目がおどろきに見開かれた。だが、その間も剣には力が加わり続け、セイの手元から剣を抜こうとする意志は衰えていない。
「だからおまえは罪人となったのだな。なるほど、このわたしが処刑人に駆り出されるわけだ……」
「ケラドゥスさん。ぼくに協力してくれないかな」
「なにをバカなことを……」
「次の皇帝なら剣闘士の試合がもっと増えるかもしれないじゃないか」
セイの提案にケラドゥスが押し黙った。セイは黙ってケラドゥスの返事を待った。競技場の観衆たちは、まだ興奮冷めやらぬ様子で騒がしかったが、そこだけは時がとまったように静かに感じられた。
「あぁ……そうだな。剣闘士の試合が増えるかもしれんな。わたしは一度解放されたが、自由民の最低の身分『降伏外人類』にしかなれんことに耐えきれず、またここへ戻ってきた男だ。剣闘士の試合なしに、このケラドゥスという男の存在はないも同然なのだ」
「よし決まりだ」