第142話 ダーウィンの『進化論』に影響を?
「で、怪しいヤツは見つかったのかい?」
ゾーイはウェルズにストレートに尋ねた。
ウェルズはにんまりと笑うと、「ええ、もちろん。ずいぶんいましたよ」と言いながら、ポケットからメモ帳のようなものを取り出した。
「ちゃんとメモもとってます」
「ほう、なかなかたいした心がけじゃな、ミスター・ウェルズ」
ゾーイとのやりとりを脇で聞いていたフロイトが、煙草をふかしながら目を細めた。
「あ、いえ、フロイト先生、そんなたいしたものでは……」
「いやいや、ものごとのすべては、観察からはじまるのだ。精神医学も作家もね」
「フロイト先生のおっしゃる通りだよ。ウェルズくん。そうやって人を見る目をやしなうのは、演劇においてもとても重要なことなのだよ。どうかね、ウエルズ君、卒業後はわたしたちの劇団で腕を磨いてみては?」
「あ、ブラム・ストーカーさん、ありがとうございます。ですが、自分は学生の身ですし、ハクスリー教授の元で『生物学』を学んでいますので……」
「生物学……。ということは、ダーウィンの『進化論』に影響を?」
「はい。自分は『進化論』こそが、あと12年後に迫っている、20世紀の主流になる理論だと思っています」
フロイトがもう一度、煙草をふかしてから言った。
「進化論か……。わが輩もあれには驚かされている。じつに悩ましい誘惑的な理論だ。あれはただの進化の道筋を科学で証明したものではないからね。言うなれば、人類史の再構築というべき、壮大な知的プログラムというべきものだよ」
「そうなんですよね。自分は進化論に影響を受けた小説のアイディアもあって、いつか世に出したいと思ってるんです」
ウェルズはほとばしる思いを熱く語ったが、ふと冷静になって、きょとんとした顔をむけた。
「あ、ところでみなさんはどうしてここへ?」
ゾーイはため息まじりに言った。
「ウォルター・シッカートさんが、この街にきてるんだよ。あたいらはここまで追っかけてきたのさ」
「あぁ、やっぱり!。あのとき出ていった絵描きさんですよね。さっき似た人がいるなと思ってたんです。あれは本人だったんですね。メモもしてます」
そう言ってウェルズはゾーイにむかってメモを見せようとした。
だが、そのとき、あたりに耳を射るような異音がした。ただならない雰囲気を感じ取ったのだろう。全員がいっせいに耳をそばだてた。
「なんの音でしょう」
ウェルズが声をひそめた。
「わからん。やけに甲高い音だったが……」
フロイトは煙草を地面に投げ捨てながら、あたりを見まわした。
ゾーイだけはその音の正体がなにか、わかっていた——。




