第140話 シッカートこそが切裂きジャックなのでは?
セイはピーターの姿を目で追いかけたが、靄に隠れてすぐに見えなくなった。
ふと、ワイルドたちのほうへ目をむけると、彼らはまだ目でピーターのほうに目をむけたままだった。彼らはまだ見えているというのが、あらためて確認できた。
やがてピーターの姿が見えなくなると、ぼそっとワイルドが言った。
「我々はみんな溝の中にいるようなものだ。でも、そこから星を眺めている者だっているのだな」
自分たちだけが不利な状況に置かれている。ワイルドたちの目を借りるしかない——。
セイはスピロにそう提案しようとしたが、スピロはピーターのほうを見送っている様子もなく、なにかに気をとられているように中空に目をむけていた。
スピロはほんの数秒間身じろぎもせずにいたが、ふいにくるりと振り向いた。
「セイ様。ゾーイから連絡がはいりました。ウォルター・シッカート様がホワイトチャペル方面にむかっているそうです」
「ほんとうかい?」
「今、ゾーイと一緒にブラム・ストーカー様とフロイト様が尾行しながら、こちらへむかっています」
「シッカートが動き出したというのなら、やはり彼こそが切り裂きジャックなのだな」
ワイルドの口調は高揚感にあふれていた。
「ワイルド様。まだ決まったわけではありません。可能性がすこしあがっただけです」
「いやいや、スピロ・クロニス。決定だろ。こんな真夜中に家からでて、このイーストエンドを目指す理由がほかにあるかね」
スティーブンソンも興奮のあまり声をいくぶん荒げた。だがリンタロウは軍人らしく、冷静な口調で別の可能性を示唆した。
「ワイルドさん、スティーブンソンさん。『急いてはことを仕損じる』と、わが日本のことわざにあります。まずは落ち着きましょう。シッカートさんはもしかしたら、単純にこの街に街娼をあさりにきているだけかもしれませんよ」
ワイルドはおもしろくなさそうに鼻を鳴らした。
「ふん、まぁその可能性はないとは言い切れん。噂では貴族のなかにも、この街にお忍びで通う者もいるときくからね」
そのとき、スピロが大声を発した。
「この街にはいってこれない?。どういうことです。ゾーイ!」
セイはその剣幕に驚いた。スピロがこれほどまでに声を荒げるというのでは、ただ事ではないということだ。スピロの目がおおきく広がる。
スピロはテレパシーで伝えられているゾーイのことばに耳をそばだてながら、セイになにかを伝えようとした。
だが、セイは前に手をつきだして、それをさえぎった。
スピロに言われなくても、なにが起きているかがわかったからだ。
それは靄に隠れて、姿をみることはできなかったが、思いだしたくもない、耳障りなカサカサという音ですぐにわかった。
その音はあたりを埋め尽くすように、いたるとろから聞こえてきはじめた——。




