第136話 フロイトとブラム・ストーカーのドラキュラ談義4
フロイトは顎に手をあてて、すこし考え込みはじめた。
ゾーイはそんなことに考えを巡らせるくらいなら、通りのむこうのシッカートの部屋をもっとしっかりと見張って欲しい、と思ったが、フロイトは考えをまとめるのに集中していて、本来の目的などすっかり忘れたようだった。
数分ほどして彼が口を開いた。
「吸血鬼にされたヒロインというのは、注がれた血によって、ドラキュラを表現する身体を強要されたシンボルになったと言い換えられないだろうか?」
「なるほど。ドラキュラの半身というべきものですね」
「うむ。そのとき、吸血鬼になったヒロインの『無意識』には、吸血鬼としての原始的欲望が産み出されるているはずだ。ならば、道徳観・倫理観など教育によって形成される『超自我』を通じて、意識の上にある『自我』に伝えられれば、ドラキュラを倒すということになるのではないかね」
フロイトはブラム・ストーカーに、立てた指をふってみせた。
「そう。もしその吸血鬼退治の教授が精神医学の専門なら、そのような解決方法へと導くであろう」
「ドラキュラを迂回するのではなく、ドラキュラへ迂回することで、ドラキュラを倒すのだ」
フロイトは力強くそう発したが、ゾーイにはなにを言っているのか、まったくわからなかった。だがブラム・ストーカーはいたく感激したようだった。
「フロイト先生。それはたいへん興味深いです。正直、私はすべてを理解しきれていませんが、この世に危機をもたらす得体の知れぬ脅威に対して、物理的な攻撃ではなく、精神的なアプローチを用いるというのは、斬新かつ、たいへん高尚です」
「いや、すこしでも役立ったのなら、わが輩も嬉しいかぎりだよ」
フロイトもまんざらでもないようだった。調子が乗ってきて、さらに話は続きそうだったが、ゾーイはそうさせなかった。
「ふたりとも、しずかに!」
「あぁ、ミスゾーイ。すまなかった。少々声が大きかったかね?」
フロイトがすぐに詫びのことばを口にした。
たしかに真夜中、狭く薄暗い部屋で、中年の男たちの理解できない話を、背中越しとはいえ聞かされ続けるのは、忍耐がいったのは確かだった。
だが、その気持ちを顔にあらわさないように、注意をはらいながら、ゾーイは言った。
「ウォルター・シッカートさんが外に出ていきそうだよ」




