第21話 チャンピオンとして、おまえを排除させてもらう
屈強な兵士がいとも簡単に叩き斬られたのを目の当たりにして、円形競技場の観衆からは三回目となるどよめきが広がった。だが、一番驚いていたのは、すぐそばでその一部始終をみていた、剣闘士ケラドゥスだった。
『あの刀で斬り倒しただとぉ。あれは……、ほとんど棒っきれだったではないか』
ふと、自分の脚が震えているのに気づいた。ケラドゥスはいままで何百という者と剣を交えてきたが、戦う前からこんなに怖じ気づいているという経験ははじめてだった。初陣の時ですら、まだ毛も生えそろってない少年だったが、こんなにも恐怖を感じなかった。
「おまえの名前はなんという」
「名前を聞く前には、自分が先に名乗るべきだと思うけど?」
ケラドゥスは虚をつかれた思いだった。今のいま、人を殺したというのに、この少年は興奮することも、悔恨することもなく、ただの日常会話然とした物言いをしてきた。
「あ、いや、わたしはケラドゥス。このローマの剣闘士のチャンピオンだ」
「ぼくはユメミ・セイ。よろしくお願いします。セイと呼んでください」
「セイ……か。おまえはどこから来た。ギリシアかエジプトか、それともマケドニアか」
「ケラドゥスさんたちは知らないはるか東方の国からです」
「おまえは今、その兵士を斬ったが、どうやった?」
「あぁ。ちょっとした超能力みたいなものを使いました」
そう言うと、セイは手のひらをケラドゥスのほうにむけて見せた。なにもないはずの手のひらの中に、光が灯る。驚くケラドゥスをよそに、セイはその光の玉の光量を徐々にあげはじめた。やがて、円形競技場の観衆が騒ぎ始めるほどには、眩く強い光があたりを照らし出し始めた。
セイが手のひらを握る。ふっと今までそこにあった光は、はじめからなかったかのように消えうせた。
「おかしな術をつかうようだな。わたしは子供を殺すのは好きではないが、ローマ帝国に仇なす魔物となれば、話は別だ。チャンピオンとして、おまえを排除させてもらう」
ケラドゥスがセイの腹部めがけて剣を突きだした。セイはそれを剣を滑らすようにしていなすと、前のめりになったケラドゥスの足元を片脚ではらった。ケラドゥスは突っ込んだ勢いそのままに、バランスを失い頭から地面に倒れ込んだ。
まさかのケラドゥスの転倒に、観衆がどよめいた。
ケラドゥスはすばやくたちあがると、セイのほうへ剣をむけて牽制した。
「すこし油断したようだ」
ケラドゥスはおおきく飛び上がると、渾身の一撃を上から振り降ろした。セイは剣を横にして、その剣を受ける。ガチンという刃と刃の噛み合う音がする。
一瞬のちにセイの手元から剣がはじき飛ばされていた。剣がはるか数メートル先の地面に突き刺さる。
「ケラドゥスの反撃だぁぁぁ」
観衆のなかから声があがると、場内が爆発するように沸き立った。
ケラドゥスはすぐに次の一撃を横に振り抜いた。
今度はうしろに飛び退いて、その一撃をかわした。だが、その切っ先がセイの服の一部を切り裂いた。詰め襟の制服の『第二ボタン』が弾けとんだ。
『ちっ、浅かったか!』
切っ先をギリギリでかわしたセイが、服の破れた場所を指で摘みながら言った。
「ケラドゥスさん。ここのボタン、ぼくの国ではけっこう大切なんだけどぉ……」
「ほう、剣をうしなったわりには、ずいぶん余裕だな」
「あぁ。確かに……。ちょっと不自然だよね」
「だが安心しろ。次は首から上をはじき飛ばしてやる」
ケラドゥスがそう言うなり、剣をおおきく前に突きだしながら横に薙ぎ払ってきた。セイはすぐにうしろに下がったが、ケラドゥスの切っ先はさらに追い討ちをかけてくる。
一振り、二振りと剣先が往復するたびに、セイはじりじりとうしろへと追いやられていく。
どん、と音がして、セイの背中が観客席下の壁にぶつかった。
たちまち、うわーっという声とともに、観衆たちのたまりにたまったフラストレーションの塊がアリーナのなかに投げ入れられる。
「ケラドゥスが追いつめたぞ」
「やっちまえ。ケラドゥス!!」
あまりの大音響にセイは「やれやれ、うるさいな」と言いながら、両耳の穴に人さし指を突っ込んで、音を遮断する真似をした。両肘をよこに張り出した格好になったが、そこを観客席からからだを乗り出した若者数人に押さえつけられた。
「ひゃっはーー、掴まえたぜ。チャンピオン、心置きなくこいつを殺ってくれ」
セイが羽交い締めにされている姿に、観衆たちがふたたび沸き立った。
どんどんと足踏みを踏みならし、ケラドゥスに『執行』の催促を促しはじめる。
観客席が揺れる。その地鳴りはアリーナですら微動するほどにまで高まってくる。
だが、ケラドゥスは剣を掲げた姿勢のまま動けずにいた。無防備かつ拘束をうけている少年を切り捨てるなど、チャンピオンの矜持としてできようはずもない。
「その少年を離せ!」
だが、セイを掴んだ若者たちは興奮が過ぎているのか、足踏みの地鳴りに聞こえないのか、まったく聞く耳を持とうとしなかった。さらに歓声が高まる。場内の空気に、すこしでも落ち着こうという気配がまったく感じられなかった。
結局、目の前の少年を斬り捨てるまで、この騒ぎはおさまらないのだと、ケラドゥスは悟った。本来ならこの罪人の処刑は、二流の養成所剣闘士(真昼に戦う剣闘士)より下の剣闘士の役割なのだ。自分のような筆頭剣闘士がやるべきものではない。だが、その前の二人の奴隷の処刑が空振りに終わったために、自分にお鉢が回ってきた……。
つまり自分に科せられた役割は、この罪人を葬れ。『絶対』に。ということなのだ。
ケラドゥスはセイにむかって言った。
「セイ。武器を持たない相手を一方的に斬るのはわたしの主義に反する。だが、許せ。いまおまえを斬り捨てねば、この興奮した観衆たちの溜飲が下がらぬ」
セイが両耳に突っ込んだ指を引き抜きながら訊いた。
「すみません。今、なんて言いました?」




