第93話 オレはそのドイツ人の末裔だ
フロイトは自分の主張を逆手にやりこめられてスピロを睨みつけたが、その怒りの矛先はワイルドのほうへむけられた。
「ミスター・ワイルド。なんなのだ。この女性は!」
「女性ではない。男性だよ、フロイト」
ワイルドが勝ち誇ったような口ぶりでそう言うと、フロイトはあわれなほど虚をつかれて放心したようになった。セイはふたりに手玉にとられたフロイトが、癇癪をおこすのではないかと思い、つい身がまえた。
「ど、どういうことなのだ……」
「それが僕にもまだわかっていないのだよ。今も混乱のさなかにいるのだ」
「わたくしたちがこれから起こる歴史的な殺人事件のために、未来からきたということがまだ信じきれていないからでしょうね」
スピロがすました顔でそう言うと、フロイトは「未来から……?」とだけ、喉からしぼりだした。
「はい。わたくしたちは今より百数十年後の未来からきたものです」
「100……。ではこれからの起こる歴史を知っているとでも?」
「えぇ。たいがいは」
「ならば聞こう。わがドイツはどうなるか教えてくれたまえ」
その挑発にはマリアがあっけらかんとした口調で答えた。
「ドイツは世界中を敵にまわして戦争に負け、次の世界大戦でユダヤ人を大虐殺したあげく、もう一度負ける」
「ドイツが戦争を?。しかも二度も……。それにユダヤ人を大虐殺とはどういうことかね。わが輩はユダヤ人なのだ。幼子と言えど言っていいことと……」
「オレはそのドイツ人の末裔だ!」
うむを言わさぬ本気のすごみに、フロイトはことばをのみこんだ。おそらく幼子と言われたことへの怒りが半分以上だろうとセイは思った。
「オレはマリア・フォン・トラップ。21世紀からきた正真正銘のドイツ人だ」
「にじゅう……一世紀」
フロイトはそうつぶやくなり葉巻を口に運び、空いている椅子にどさりとに座った。
「ミスター・ワイルド。あなたがわが輩をロンドンまで呼びつけたのは、この人々のことだったのかね」
そう訊かれたワイルドは厚かましいことに、芝居がかった仕草でかたった。
「えぇ。もちろんそうですとも。新進気鋭の精神医学者のあなたの、研究の一助になればと思い、あなたをお呼びだてしたのです。ドクトル・フロイト」
まるですべての手柄は自分のものとばかりにふる舞うワイルドに、セイは呆れ返ったが、スピロやエヴァはさもありなんという目をむけていた。
「いやはや……。こいつは恐れ入った。未来からきたなどという妄想に取り憑かれて、もっともらしく語るその精神構造。じつに研究のしがいがありそうだ」
「おい、おい、まだ信じてねぇぞ。このおっさんわぁぁ」




