第79話 バスカヴィル家の犬はまだ書いてねえのか?
「ほうら、やっぱり売れてないじゃありませんか」
「いや……、でも、『マイカ・クラーク』は編集のほうでも評判が高くてですね——」
ターナー夫人にむかって、コナン・ドイルは必死で弁明をはじめた。
マリアがボソリと呟く。
「なーんだ。『バスカヴィル家の犬』はまだ書いてねえのか?」
「『四つの署名』もまだのようですね」
「ぼくは『まだらの紐』が好きだったな」
「『赤毛組合』も忘れちゃなんない傑作だろ」
マリアのことばを口火にして、エヴァ、セイ、ゾーイが続いた。スピロもそれにつられるようにして、自分の思いを吐露した。
「わたくしはなんといっても、アイリーン・アドラーが登場する『ボヘミアの醜聞』が一番ですわ」
コナン・ドイルはセイたちの口々から飛び出す小説のタイトルに、ターナー夫人への弁明もわすれて呆然と立ち尽くしていた。
「きみたちはなにを言ってるかな?。そりゃ、たしかに『四つの署名』ってぇのは、あたしがあたためている作品のタイトルのひとつですがねぇ、なんで、きみらがそれを知ってるんだ?」
スピロは目を輝かせて、コナン・ドイルに言った。
「これは全部、将来あなたが執筆する作品のタイトルですのよ」
「あたしが執筆する……?。じゃあ、きみたちはあたしの作品を読んでるのかね?」
「ぜーんぜん」
スピロ以外の全員が首を横にふって言った。
「なんなんだぁぁ、キミたちはぁぁ」
コナン・ドイルは足をドンと踏みやって憤った。
「あのぉ……」
その時、セイたちの背後で手が挙がった。モリ・リンタロウだった。
「あのぉ、コナン・ドイルさん……」
リンタロウはおずおずと前に歩みでてきて言った。
「小生、モリ・リンタロウと申します、日本人の医者でして……」
「医者!。ニッポンの!。まぁ、ニッポンっていうのがどこにあるのかよく知りませんが、あたしも医者なのでね、話しが合いそうだ。この子たちはさっきから、なにを言っているのか、ちっともわからなくてですね」
「そうですよね、小生は軍医なのですが、あなた同様、作家として名を残すと云われましてね」
「はぁ?。あなた、それ信じたんですか?」
「えぇ、もちろんですとも」
リンタロウはターナー夫人に聞こえないようにコナン・ドイルの耳元に口を近づけて囁くように言った。
「どうやらこの子たち、この世のものではないらしいんです」
そのとたん、ドイルのからだが電流でも流れたかのようにぶるっと震え、ドイルはその場に腰を抜かして倒れ込んだ。コナン・ドイルはガクガクとからだを震わせながら、セイのほうを指さしながら、必死で声をあげた。
「じゃ……、じゃあ……、この子たちは、幽霊なのかぁぁぁ」




