第76話 エヴァとモリ・リンタロウ、即興の茶番劇
「いや、仕方あるまい。それほどまでにここのマダムは、筋を通される立派な方だったとういうことだ。たいへん残念なことだ。こんなに信頼がおける大家が経営されている物件こそ、むしろ軍が借り受けるのに最適な物件だったのに……」
エヴァとリンタロウが即興の茶番劇を演じようとしているのに、スピロも気づいたらしく、すぐに一枚加わった。
「モリ様、このターナー様は、エヴァ様が提示された大金にも、首を横にふられました」
「そうか、お金でなびかないとは、それほど高潔な方がおられるとは思いもしなかった。そのようなことでマダムの本心を試そうとした我々が恥ずかしいほどだ。だが、そのような大家の元であれば、日本国の『定宿』として借り受けるのに、どれほど安心ができることだろうか」
リンタロウが芝居がかった口調で嘆いてみせた。エヴァにはあまりにも滑稽な口ぶりに、むしろ激怒されるのではないか、と危惧したが、驚いたことにとうのターナー夫人はそうではなかった。
目の前でみずからを褒めちぎられて、ターナー夫人の顔がみるみる紅潮していくのがわかった。満更でもない、という段階を超えて、すでに得意満面という域に達しているようにさえ見える。
エヴァと同様にそれを見てとったリンタロウが、深々とターナー夫人に頭をさげてから言った。
「マダム、どうでしょうか。どうやら三階の部屋も空いているようですので、ふた部屋を一緒にお貸しいただけないでしょうか?。日本国陸軍を代表して、ぜひともお願いしたいのですが……」
「ふた部屋で週10ポンド……ではいかがです?」
ターナー夫人はその折り目正しい態度に、うろたえるようにして小刻みに頷いた。
「えぇ……。も、もちろんですとも。日本国がうしろ盾というのでしたら、喜んで……」
交渉がうまくいって、部屋のなかに安堵がひろがった。スピロは顔を輝かせ喜んでいるし、ゾーイはそんなスピロをみて嬉しそうだ。セイはほっとした様子をみせ、マリアはリンタロウの手助けに、すこし感心したようににやついている。
だがエヴァだけは悔しさを感じていた。心のなかで下唇を噛みしめる思いだった。
まんまとしてやられた——。
日本国陸軍の名を借りて、みごとにターナー夫人から許可を引き出したのは見事だった。
だが、うまく言いくるめて、もう一部屋、おそらく自分用の部屋を相場の半額の2ポンドで借りるのにまんまと成功している。
モリ・リンタロウ、侮りがたし——。




