第70話 ウィキペディアって言う万能辞典に書いてンだよ
「あぁ、間違いねぇ。こっちはアニメの影響で、実在の『森鴎外』の生涯を調べたかンな。」
「小生の人生を?。そんな世迷い言を並べられても……」
「は、オレたちの時代には『ウィキペディア』って言う万能辞典があるンだよ。それにはおまえはエリスっていう女を主人公にした『舞姫』ってぇ小説を書いたと出てる。そのエリスっていう女のモデルが……」
「わ、わかった!。そ、そ、それより彼女が来日して、し、小生はどうなるのかね」
「さぁ?」
マリアがすっとぼけて肩をすくめてみせた。
「さぁ?。ど、どういう……」
「陸軍や一族郎党を巻き込んで、ひっくり返るほどの大騒ぎになった、って話だが、具体的にはどんな目にあったかまでは……」
「お、お、さ、わ、ぎ……。あぁ、そうだろうね。そうなるさ。あぁ、大変だ。どうしよう……。ど、どうすれば……」
リンタロウはマリアだけでなく周りの者たちにすがるような目つきをむけた。あまりにもうろたえた様子は、なにか滑稽だったが、少々あわれでもあった。
「は、仮病でもなんでも使って、帰国をとりやめたらどうだ?」
マリアは面倒くさそうに助言した。
「仮病?。そんなことはできない。小生は陸軍軍医副なんだよ」
「そうですわ、マリアさん。言うにことかいて。だれもがあなたのようにいい加減ではありませんことよ」
エヴァがマリアの戯言を叱責したが、マリアはどこふく風とばかりに笑い飛ばした。
「ん、じゃあ、日本に帰国して修羅場にでもなんでも……」
「いや、そ、それは勘弁……」
「それじゃあ、軍に正直に言って、帰国の延期をお願いしてみちゃあどうなんだい?」
そうゾーイが提案してきた。が、あきらかにただの思いつきだ。セイはそれをただした。
「ゾーイ。軍の上層部にそんなわがままが通るわけがない。仮病より難しいよ」
「たしかにそうだねぇ。軍医じゃあ、簡単にはいかないかもねぇ」
ゾーイはセイの意見にすぐに納得したが、当のリンタロウは顎に手をあてて、じっとなにやら考え込んでいた。
「軍の上層部……」
そう呟くと、なにやら晴れやかな顔つきをセイのほうへむけてきて言った。
「あ、いや。みなさん、心配をおかけしたね。帰国の延期の許可をお願いできそうな、知人の心当たりを思い出しましたよ」
「おいおい、そんなこと、相当なお偉いさんでもなきゃ、無理だろ?」
マリアがリンタロウにむけて、うさん臭げな目をむけた。
「えぇ。小生と同時期にドイツに留学している陸軍少将と、ベルリンで親交を深めることができましてね。ずいぶんと懇意にしていただいた。あの人なら正直に打ち明ければ力になってくれると思うんですよ……」
「乃木希典と云ふ方なのですが……」
セイはどこかで聞いたとは思ったが、とっさに思いだせなかった。
「乃木希典……。リンタロウさん、そんなに偉い方なのですか?。わたしも日本の歴史を勉強しましたが、いまひとつ覚えがありません」
セイが頭を巡らせている横で、エヴァが首をひねった。
「嘘でしょう?」
うしろでスピロが大声をあげた。
「セイ様、乃木希典ですよ」
こころなしかあきれ返っているようにも感じられる口調だった。
「日本人なら全員知っている名前なのではないのですか?。日本の歴史に詳しくない、わたくしでも知っております……」
「日清戦争では旅順を一日で陥落させて、日露戦争で大将として日本を勝利に導いた名将、乃木将軍でしょう」




