第59話 悪魔の囁きはずっと聞こえていました
「……というわけで、切り裂きジャックをとらえる必要がでてきたのです」
スピロ・クロニスはあたりの風景を見回しながらそう言った。
前日ダイブしたときと寸分変わらぬ19世紀末のロンドンの風景。
目が痛くなるような黒く煙った空に、反吐がでそうな饐えた空気。
街のざわめきはざらつき、街並みからは色という色が抜け落ち、なにもかもが生気をうしなっているようだ。ただ馬の糞尿で塗り固められた石畳だけが、穢らわしいまでに黒光りしている。
「おい、スピ口!」
マリアが難癖をつけるような表情で、下から睨みつけてきた。
「なにが、……というわけです、だ。話が見えてこねぇぞ」
「あら、マリア様。今、かいつまんで説明したと思いますが……」
「スピロ、ちょっと待て。おまえ、はしょりすぎだ。ほかのヤツもみんな首ひねってるぞ」
そう言ってマリアは、周りを取り巻いているみんなに目配せをした。それにすぐに賛同したのはセイだった
「ん、まぁそうだね。スピロ。マリアの言うとおり、ぼくもまったく理解できてない」
セイが頭を掻きながら、率直にマリアに賛同すると、エヴァとゾーイも首を小刻みに上下させて同意をしめしてきた。
「ではもう一度、最初から順をおって説明します」
スピロは軽く深呼吸をしてから、話を続けた。
「前回、わたくしたちミッションが失敗に終わったのは、悪魔の邪魔によるものではないかと推察しました。いわゆる『悪魔の囁き』によるものです。ネルさんの未練の思いを断ち切るようななにかを耳にしたり、本来の未練を別のものにすり替えるような巧言に惑わされたのではないかと……」
「たしかに……。もしネルさんの未練の思いが断ち切られたり、書き換えられたとしたら、ぼくらの力が急速にうしなわれていったのも合点がいく」
セイはすぐにその見解に理解をしめした。おそらく過去の戦いのなかで、同じような目にあったことがあるのかもしれない。
「たしかにそうだねぇ。ネルさん本人自身が気づかない場合だってあるからねぇ」
ゾーイもすぐにセイに追随したが、エヴァは異論があるらしかった。
「スピロさん、その意見、簡単には飲めませんわ。だってわたしたちはずっとネルさんと一緒にいました。そのあいだずっとネルさんを見張っていましたが、なにかを吹きこむ隙などなかったはずです」
「そうだ、スピロ。それはおまえが一番知っているはずだ。エヴァのバイクにあの赤毛のおんなと一緒に乗ってたンだからな」
「はい。マリア様、たしかにわたくしはネル様とずっと一緒でした。ですが、悪魔はそのあいだもずっと、ネル様に呪詛のことばを吹き込んでいましたわ。そしてわたくしたちもたえずそれを耳にしていました……」
スピロは自分の間抜けっぷりをあらためて思い出し、うんざりとした口調で言った。
「それを悪魔の囁きだなどと思いもせずにね」




