第10話 19世紀ヴィクトリア朝のロンドン3
女たちは女中、子守り、掃除婦、洗濯婦など外で雇われるか、洋裁や刺繍、マッチ作りなどの内職をして稼いだが、せっぱつまってくると、労務者、水夫、兵隊などを相手にして売春に走った。
娼婦といっても色気などはこれっぽっちもなく、子供を何人も産んでだらしなく老いさらばえた薄汚い中年女が、一家の生活のためにからだを売っているだけだった。
彼女たちにとっては、『性行為』という名前のただの肉体労働にすぎなかった。
こんな環境に育った子供たちが、まともに育つはずがない。
学校にいける余裕などなく、幼い頃から生活費を稼ぐために働かされた。マッチや新聞の売り子、行商や内職の手伝い、くず拾いや乞食をやらされることもあった。このような状況で悪に染まらないでいられるわけはなく、やがてスリ、かっぱらいの常習犯になっていった。生活苦からそれを奨励する親もおり、ここに住まうものは貧困から抜けでられる術を端から持っていないのだった。
ロンドンは入ってくる人間を片っ端からむさぼり喰う飢えた獣だ——。
チャールズ・ディケンズ(『クリスマス・キャロル』『大いなる遺産』『二都物語』等をしるしたヴィクトリア朝文学を代表する国民的作家)は嫌悪感をこめて、そう書き記した。
そしてそのなかでもっとも残忍で、無慈悲な獣が、イースト・エンドの西側、金融街シティに隣接する『ホワイトチャペル』だった。
この『ホワイトチャペル』は街の中心にある『白い教会』が由来だったが、清潔そうな名前とは真逆の最貧困層の集まる場所だった。
彼らの多くは帝政ロシア政府のユダヤ人大虐殺や、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの政治的粛正で亡命してきたロシア、ポーランド、ドイツなどからのユダヤ難民だった。
当初、地区ごとの色分けは明白に行われたわけではなかった。だが19世紀中葉にロンドンのいたるところに散らばっていたスラムの排除を目的として、公共事業をおこなった結果、下級労働階級の者が不衛生な環境が改善されないまま、別の劣悪な場所へ移り住まざるをえなくなり、東地区に追いやられ『ゲットー(ユダヤ人の収容場所)』ができあがった。
当時のホワイトチャペル界隈の人口は十一万人——。
簡易宿泊所は230軒を超えていたが、住所不定の人々は一万人近くいた。売春宿は60軒を超え、プロの売春婦は1200人ほどいたとのことだったが、生活に困ると自宅や簡易宿泊所で男をくわえ込むアルバイト娼婦は数知れず。一説には1万人はいたともされている。
それが『ホワイトチャペル』だった——。
そこで起きた世界初の連続殺人事件。切り裂きジャック事件は、起きるべくして起きたものだったのかもしれない。




