第9話 19世紀ヴィクトリア朝のロンドン2
栄華をほしいままにしたロンドンだったが、ヴィクトリア朝末期、19世紀末になるとその勢いは一気に陰りはじめる。アメリカやドイツの産業勃興で、工業生産品輸出の王座を奪われ、ロンドンは長い不況のさなかにあった。それでも世界中から人々はロンドンを目指して押しかけてきた。
その渾沌がロンドンをおおきく二分した。
ひとつは高級住宅地や繁華街に象徴される『ウエスト・エンド』。
政治の中心ウエストミンスター、金融街シティ、法曹街ホルボーン、超高級住宅街ベルグレイヴィアやメイフェア、印刷・出版業の集まるフリート街などが集まるロンドン文化の中心地。
そしてもうひとつはその対極になる移民たちの集まる貧民窟『イースト・エンド』だった。元々は外敵の侵入を防ぐため、シティを取り囲むように建造された市壁の外側、北東一帯に広がる地域だったが、ここに世界中から難民や出稼ぎが集まってきた。
鉄道が開通したことにより仕事を求めて地方から人々が押し寄せ、ヨーロッパ大陸から「出稼ぎ」に来る外国人労働者や、宗教的迫害から避難してきたユダヤ人などが多く流れ込んできた。
フランス人、スイス人、イタリア人などが無国籍的に混在する『ソーホー』、『サフロン・ヒル』はイタリア人街に、港町『ライムハウス』は上海や広東出身の中国人が、『ホワイトチャペル』にはユダヤ人が定住した。
定職もなく臨時工の職にもありつけなかった男は、いろいろな仕事に手を染めて、その日暮らしの生活の糧を得てきた。
元手がある者は呼び売り商人になった。手押し車やかごに、日用雑貨品、季節商品、獣肉、魚介、野菜、果物、花をいれて、街中を掛け声をかけながら売りさばいていた。三万人を超える行商人がいたという。
まったく元手がないものはくず拾いになった。朝は暗いうちから布袋を背負って、新聞紙、空き缶や空き瓶、煙草の吸い殻、ぼろきれ、古靴、鳥獣の死骸、馬や犬の糞などを拾った。犬の糞は革の艶だしに鞣革業者が高く買ってくれた。
下水浚いも収益のあがるいい仕事だった。下水道が完備していたロンドンでは、坑内に潜り込んで汚水や泥砂をさらうと、硬貨や銀のナイフ・フォーク類を拾えた。運がよければ宝石や金貨などにありつけることもあった。だが、深みにはまり溺死したり、ドブネズミの大群に襲われて食い殺される危険とは常に背中あわせだった。
そんな危険はごめんだという者には、泥ひばりと呼ばれる川底を浚う仕事があった。テームズ川の引き潮時に浅瀬の泥の中をかき回して、鍋ややかんなどの金物類、古道具、石炭殻など投げ捨てられたものを掘りだして歩く。夏は炎天下に苦しみ、冬は凍えて汚泥にまみれる重労働だったが、それほど実入りはよくなかった。