第3話 大気汚染の街ロンドン
ユメミ・セイは吐き捨てるように言ったつもりだったが、『嫌な空気』のひとことでは言い足りていないと感じた。自分が訪れたさまざまな歴史の世界の、どんなに澱んだ空気でもここまでひどくない。
まるで反吐を薄めてそのまま空中に噴霧したような色と臭いが、この街を覆っていた。
「セイ様、しかたがありません。ここは19世紀末のロンドンですから」
スピロ・クロニスがそんなことは瑣末なこと、と言わんばかりに肩をすくめた。あんまりにもあっけらかんとした物言いが気に障ったのか、マリア・トラップがスピロを見あげて文句を言った。
「おい、スピロ、なんでだ。『霧の街ロンドン』じゃねぇのか」
「霧のロンドン?。マリア様、今わたくしたちの視界を妨げているのはただの煙ですよ。霧ではなくてね。『大気汚染の街ロンドン』と言うのがただしいでしょう」
「たしかに目が痛ぇよ、お姉さま」
ゾーイ・クロニスが目をしばたかせながら言った。
「それは家庭や工場、汽車が吐き出す石炭の煙と煤のせいです。それで街中が煙ってみえるんです。ロンドンによく雨が降るのは、そのせいだとも……」
スピロは夕闇が迫ってきたロンドンの空を見あげながら言った。
「ロンドン名物の『豆スープのような霧』と呼ばれる、この黄みがかったスモッグのせいで、酸性雨がよく降るんですよ」
「それでこの強烈な悪臭なのですか。なんとかなりませんの?。さきほどから鼻というか喉まで痛いですわ」
エヴァ・ガードナーが眉をひそめて言った。まるでこの臭いはスピロのせいだと言わんばかりの口調だ。
「エヴァ様、どうか我慢してください。この強烈な悪臭の元は、おそらく醸造所や化学工場からのものでしょう。それに加えて馬車をひく馬の排泄物の臭いや、いたるところで死んでいる猫や犬の死骸、腐りかけた魚や野菜の臭いもあるようです」
スピロの口から次から次へとでてくる、おぞましい汚物の話に、さすがのセイも見解をあらためざるを得なかった。
「おそれいったな。19世紀末と言えば、文明が進歩して、文化が開花したとても優雅で洗練されているイメージだったけど」
「セイ様。偏ったアニメや映画の見過ぎなのではないですか?。まぁ、アニメや映画ではこの汚染した空気も耐えがたい臭いも見えませんからね」
そのとき、街灯に火が灯りはじめた。ガス灯の点灯夫たちがはしごでランプにひとつひとつ火を灯していた。