第117話 マリアはロルフの風の臭いを感じとった
その時、かすかに風がゆらいだ。マリアはロルフの風の臭いを感じとった。
予想通りだ——。
いつまでも瓦礫のなかででくたばっているタマじゃない。
マリアはこちらに吹いてくる風に、研ぎ澄まされたエッジを見てとった。ドナウ川でオスマン=トルコ兵を切り刻んだあの凶暴な風のナイフ。
あの大技を発動させるために、隠れていたのだとわかった。
マリアはうしろにさがると、メフメト二世を守るために、彼のすぐ目の前に位置をとって身構えた。
その瞬間——。
メフメト二世の喉元を何者かが掻き切った。
喉元からいきおいよく血が吹きだし、すぐ下にいたジグムントのからだに吹きかかる。ジグムントはじぶんの顔やからだが鮮血で真っ赤に染まっていくのも構わず、悲鳴をあげながらメフメトに手を伸ばした。
メフメトは何かを言おうと口を開くが、ゴボゴボという音しか聞こえない。メフメトは血塗れになっているジグムントに手を伸ばすが、そのまま力をうしなって背中からどうと倒れた。
ジグムントは喉の奥から悲痛の声をあげて、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
マリアは目を見開いた。
「ど、どうして……」
メフメトのうしろにラドゥがうつろな目で立っていた。
「おぉ、よくやったぞ。我が弟!」
ヴラドが声を弾ませる声が背後から聞こえた。マリアはギリッと下唇を噛みしめた。
「ノアの能力をあまくみすきだ、マリア」
ハギア=ソフィアのドーム屋根のうえからロルフの勝ち誇った声が聞こえた。ノアが口元を嬉しそうにゆるめながら、屋根のほうを振り向いた。
「ノアはメフメトの側近を操るために、ここに送り込まれていたのだよ」
ロルフは屋根の上からおおきな跳躍をして広場に降りたった。すぐにノアの肩に手をかけて。囁くように労いのことばをかける。
「いい仕事だった、ノア」
怒りをぐっと抑え込んでマリアはドラキュラの方に踵を返した。せめてドラキュラだけでもという思いだった。自分の力が及ばなかったという無念。最初から自分には救う手だては封じられていたのだという悔しさで、こころが張り裂けそうだった。
「レオン!。そこをどけぇぇぇぇぇ」
正面に立ちはだかるレオンごと叩き切ってやる覚悟で、剣を振り抜いた。だが、その剣をロルフの剣が受けとめていた。真正面にロルフの顔。
マリアはロルフを睨みつけた。
だがロルフはマリアを見ていなかった。自分の肩越しに悲嘆にくれているジグムントを見つめていた。
「ジグムント。さあ、あなたを現世に戻す番です」
マリアはロルフの剣を撥ねとばすと、ジグムントのほうに目をやった。
いつのまにかラドゥがジグムントの傍らに片膝をついていた。
「ジグムント!。彼を見ろ!」
ロルフがそう叫ぶと、ラドゥはジグムントの髪の毛を鷲掴みにして、無理矢理頭をあげさせ、正面のドラキュラの方に視線をむけた。
「あなたの望みを叶える」