第112話 世の中はまっすぐ渡っていけるほどやさしくできてない
「きみはまだ子供だ。世の中はまっすぐ渡っていけるほど、やさしくできてない」
「ええ。あなたのように歴史から何も学ばない愚者がいる限り、やさしくなるはずなんてないわ」
思い切り剣を振り回すと、ロルフがアーチ状の柱にむかって振り飛ばされた。そのまま柱に激突しそうになるが、両足でその柱を踏みつけて、その勢いを借りてマリアにふたたび斬りかかった。
マリアがその剣を受ける。が、飛び出したロルフの勢いに押されて、そのまま二階の回廊側にはね飛ばされた。回廊の柱に激突しそうになるが、剣をおおきくふって方向を変えた。マリアのからだが柱と柱のあいだをすり抜け、マリアは回廊に着地した。
すぐに剣を構え直す。そこへ柱のあいだをぬってロルフが、飛び込んできた。マリアはその剣を受けるが、それと同時に足元に吹きつけてきた突風を避けようとしてバランスを崩した。からだが宙に浮いて踏ん張りがきかないところに、ロルフの剣が横から振り抜かれる。マリアはそれを剣を立てて受けるが、そのまま後方にある壁に叩きつけられた。
したたかにからだをぶつけられた壁には、人間の罪を許すよう嘆願する聖母マリアと洗礼者ヨハネが描かれているモザイク画『デイシス』があったが、べっこりと壁ごとへこみ、その欠片があたりに散らばった。
マリアはヒビだらけになったモザイク画から身をおこしながら言った。
「いまのは痛かったわ」
「痛いわけないと思うが……」
「このキリスト教世界のすばらしい芸術がだいなしになったのよ」
「ふ、しょせん脳内空間でうみだされた、ヴァーチャルの世界だ。気にすることはあるまい」
「なら、さっきの嘆きようはなんだったわけ?」
「方便だよ。すこしはキミを説得できると思っただけさ」
「ならあなたがなぜこんな阿漕なことをしているか説明してくれたほうがはやいわよ」
ロルフはマリアにじりっと近づきながら言った。
「あの少年、ジグムントはブルガリアからトルコに献上させられた人質でね。かれはイェニチェリとして鍛えられていたらしい。だが訓練を受けているうちに、イスラムの教えに心酔し、メフメト二世へひと一倍の忠誠を誓ったそうだ。ドラキュラ公の実弟ラドゥのようにね」
「だから?」
ロルフはため息を吐き出した、
「やっぱり説得は無理そうだな。まぁ、仕方がないさ。女の子の心はわたしの専門外なのでね」
「よく言うこと。ひとたらしの専門家のくせに。おばさまにも、法王庁にも、見事に取り入ったし、レオンやノアもあなたの言いなりでしょう」
「そうかもね。だがそれだけにわたしに懐かないヤツは嫌いでね」
「は、あなた、世の中が自分中心に動いているとでも」




