第103話 ただ精神がへこたれているだけだ
マルマラ海は荒れくれた海と聞こえてはいたが、水の下ではそれはまるっきりの作り話のように静かだった。
マリアはからだが水底に深く沈んでいくのを感じながらも、しばらくこのまま揺蕩っていたいと心底思った。
からだが重たい——。
ロルフの『風のミサイル』を渾身の力で受けとめ続けていたせいで、疲労困憊だった。
水の中までも海上の爆発音や喧騒が、くぐもった音となって伝わってきた。
ふいにあの少年の顔が浮かんだ。
ジグムント——。
西欧の国の者でありながら、征服されたトルコにイスラム教へ改宗さられ、敬虔であったゆえに、ヴラド・ドラキュラによって串刺し形によって死刑になった。
そしてこの前世の記憶の中では、歴史の改変を願っているにもかかわらず、イスタンブールの陥落を見せつけられ、尊敬するメフメト二世の暗殺を目の当りにさせられようとしている。
なんと、なんと残酷なことだろうか——。
許してはならない——。
からだが重たいですって?。そんなわけないでしょう。ここは精神体の世界——。
マリア、しっかりしなさい。ただ精神がへこたれているだけだ!。
マリアが海上に顔をだした時、すぐ近くに十字軍の帆船の艦隊のまっただなかにいることに気づいた。
それはキャラック船と呼ばれる大型帆船。このあとむかえる『大航海時代』の主役となるずんぐりと丸みを帯びた船体。大量輸送に適した広い船倉を持つ船だった。とくに甲板の安定性が高いため、砲台を備え付けることが容易で軍船としても活躍をした。
上を見あげると、おおきく風をはらんだ帆が見えた。どうやらマルマラ海の気まぐれは、十字軍側に都合の良い風を呼び込んでいるようだった。
まぁ、当然よね。十字軍側には風使いがいるんだもの……。
マリアは自分のすぐ近くを通り抜けようとしているキャラック船を見あげた。船にはハンガリー軍の旗が掲げられていた。マリアは手のなかに剣を呼びだすと、躊躇なく船の横っ腹に刃をつきたてた。そしてそれにつかまってからだを持ちあげ、刃の上に足をかけると、マリアはすぐさまもう一本剣を呼びだし、頭上あたりに突き立てた。今度もおなじようにその剣につかまり、からだを上にもちあげる。
それを二回ほど繰り返しただけで、マリアは甲板に到達することができた。
マリアは甲板に降りたつなり、真ん中のメインマストに張られたシュラウドと呼ばれる、マストを両脇から支えるための支索に飛び乗り、そのまま一番上の見張り台まで駆け上がった。あたりにいた兵士たちにその行動は気づかれなかったが、見張り台には痩せっぽっちの見張りの兵士がいて、下から突然現れた幼女に驚きの声をあげた。
「え、なんだって、こんなとこに子供がいるんだ?」