第98話 わずか1〜2キロ先に海が迫っていた
マリアはすこしホッとしたが、ふいに後方で爆発音がしてハッとした。あわてて後方に首をまわす。
わずか1〜2キロメートル先に海が迫っていた。そしてその海を埋め尽くすように、おびただしい数の船が浮かんでいた。その船体にはためくのはハンガリー国旗。
マーチャーシュ公の援軍だった。
さらにその船団のなかに、ジェノバから派遣されたとおぼしき十字軍の大型帆船が混じっていた。そこから大砲が陸地にむけて撃たれていたのだ。
大型帆船から放たれた砲弾が大宮殿の一番海側に面したマグナブラ宮殿の屋根に着弾したのが見えた。別の砲弾は元老院の柱をかすめ、「ハギア・ソフィア大聖堂」の前の広場の土をはねあげた。
目の前にコンスタンティノープル競技場が見えてきた。すぐその先が皇帝たちがすむ宮殿になる。上空から臨む競技場は壮観だった。
この競馬場のおおきさは長さ450メートル、幅130メートルで、一度に10万人を収容できる規模だった。そしてその競馬場のまんなかにある分離帯にビザンチン文化の荘麗さを見せつけるいくつかのオベリスクが建っていた。
特に『コンスタンティンのオベリスク』と『テオドシウスのオベリスク』はまるで蒼穹を突かんばかりにそそり立ち見るものを圧倒した。
空から見おろしてみても、その高さは『ハギア・ソフィア大聖堂』の尖塔までと同じほどの高さがあり、遠くからも容易に視認できた。『コンスタンティンのオベリスク』はレンガを幾層にも積み上げ、『テオドシウスのオベリスク』一枚岩の花崗岩を掘って作られていた。
そしてそのふたつのオベリスクの中央には、ペルシア戦争のプラタイアの戦いでの勝利を祝して建立された『蛇の柱』があった。三匹の蛇がお互いに絡みつきあいながら、垂直に螺旋に巻いたデザインで、神聖な印象をひとびとに与えた。
マリアはスルタンの居住する宮殿の上を飛び越えたところで、このまま海に落とされると覚悟した。すでに右側の陸地部分には馬の練習所と厩舎が見えてきている。
それを通り過ぎると、すぐにマルマラ海だ。
このまま船の上に着地できれば……。
これ以上戦場から離されると、さすがに手のうちようがない——。
下方からふいに潮風が吹きあがり、湖の臭いが鼻腔をついた。海の上にでたのがわかった。
その瞬間、それまでマリアのからだを圧倒的な力で押しつづけていた、風の勢いが嘘のようにおさまった。あまりにも突然無風になり、マリアは空中でなにかするもなにもなく、あっという間に海に落下していった。




