第90話 ヒストリカル・コレクトネス
『ポリティカル・コレクトネス……ですか?』
『その通りだ。本来は人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別をしない中立的な表現や用語を用いることだが、実際にはただの『言葉狩り』になってしまっている。過去に発表された文学や映画を非難して、発禁にしようとしたり、時代背景を無視して中立的な表現を強要したりしている。それをしたところで過去の過ちや悲劇は変わらない。ただ未来におなじ過ちを繰り返さないためのメッセージが重要なのだ』
『つまり、我々がやっていることも、それとおなじようなもの……ということですか』
『まぁ、半分は法王庁の司祭たちの過去に対する贖罪……。ただの自己満足だろうな。彼らが直接その勝利を見られるわけではないが、信頼に足る人物が『勝った』と言えば、溜飲がさがるものだよ』
『そんなことのために……』
レオンはなかば呆れ返った気分で声をもらしたが、ロルフはそれを険しい表情で制した。
『レオン、それにノア。わかってくれ。きみらもこれからより厳しい過去の歴史に向き合えば、わたしとおなじ考えを持つはずだ』
ロルフはからだを前に乗り出して、ふたりを睨みつけた。
『それが無意味だとわかっていても、キリスト教徒が異教徒に蹂躙されていたり、神の名の元に信徒を迫害している姿を目の当たりにすれば、見たくないと思うはずだ。変えたいと願うはずだ。それで要引揚者をすくう使命を放りだすことになったとしても、人間として、神の元に使える者として、そう行動してしまうはずだ』
『で、ですが、脳内の歴史を修正したところで……』
『ヒストリカル・コレクトネス』
ロルフはレオンの反論をひとことの元に押さえ込んだ。
『本来ならあってはならなかった歴史を、あるべき歴史に修正する。わたしはこのことをそう名付けた。レオン、ノア、きみたにはそれを手伝ってもらいたい』
「ヒストリカル・コレクトネス?」
マリアはそのことばを口にするなり、うんざりとした顔で言った。
「まぁ、ロルフ。さすが教授になるだけあるわね。なんとも耳障りのいい『キレイごと』をひねり出したものだわね。でもあたし、今の話のなかにおおきな疑問があるのだけど、訊いてもいいかしら?」
「疑問?」
「えぇ。あたしの勘違いかしら。どういうわけか、最初からあの少年を助けないつもりでいるのよね。あなたって」




