第31話 コンスタンティノープル陥落4
のちに『オスマン艦隊の山越え』と呼ばれる、戦史に残る奇策——。
それはボスポラス海峡から金角湾までの2・5キロメートルにわたる森を切り開いて、船を渡そうという作戦だった。
天啓とも思える閃きだったが、実現のためにはいくつもの難題があった。
直線距離で2・5キロであったが、そこは山であり実際には4・4キロを切り開いて、数十メートルの高低差を克服しなければならなかった。
そしてすぐ真横にはコンスタンティノープルから商業を許されたガラタ地区があり、隠密行動をおこしても、確実に筒抜けになってしまうことだった。
メフメトはガラタ地区の知事ロメリーニを呼びつけると、これから見聞きすることを絶対にビザンチン帝国に知らせないよう厳命した。
ガラタ地区はビザンチン帝国の対岸にあって協力関係にあったが、完全に商人の街であり、宗教的なものには関与しないようにしていた。実際にコンスタンティノープルが長期間ろう城がでているのも、トルコ軍がずっと包囲できているのも、ガラタ地区の商人らが、両陣営に物資や食料を販売しているからだった。
ロメリーニはメフメトから、コンスタンティノープル陥落後の商売的優位の言質を取り付けると、その命に従うことを約束した。
その日からガラタ地区上空をめがけて、絶え間なく砲撃が開始された。そのうちの数発がガラタの商船を誤って沈めてしまうアクシデントもあったが、昼夜とかまわず号砲が鳴り響き続けた。
その爆音に隠れて、ボスポラス海峡から何千もの兵が山道を切り開いていた。ビザンチン帝国はあらぬ方向に飛んでいく砲弾を余裕で見送っていたが、その間に着々と作戦が進んでいることには誰も気づかなかった。
道が切り開かれると、獣脂を塗った丸太を並べて、その上に船を乗せた。何頭もの牛や象、人足たちに曳かせ、丸太の上で滑らせるようにして大型船を移動させていった。ビザンチン帝国に気づかれないよう、真夜中に山を越えていった船は、静かに金角湾の湾奥に浮かべられていった。
その数76隻——。
包囲から16日目——。
その朝、ビザンチン帝国の人々は悪夢をみることとなる。
一夜にして金角湾をオスマン=トルコの軍船が占拠していたからだ——。
メフメトはふたたび壁にむかって砲撃を開始した。
ビザンチンの人々は恐怖におののいた。絶対に入港不可能であるはずの金角湾をいつのまにか制された上に、陸からも間断のない攻撃を浴び続けて、もう自分たちにはなす術がないと絶望した。
メフメトの狙いもそれだった。すぐに降伏を申し出てくると思った。
傭兵隊長のジュスティニアーニの防衛作戦は困難を極めた。
兵士7000人で、それまでの22キロメートルにおよぶテオドシウスの城壁に加えて、海側の5キロメートル強の海岸線にも守備隊を置かねばならない。ここを破壊されてしまうと、援軍がきても湾に招き入れることができなくなる。
そこでジュスティニアーニは、湾の敵船を全部沈める奇襲攻撃を提案する。奇襲攻撃を担当したのは、ベネチアの海軍将校ジアコモ・ココ。だが、このベネチア人の作戦に対して、ジェノバ人が難癖をつけてきて会議は紛糾した。皇帝が承諾した作戦も、ジェノバ人によって白紙に戻り、奇襲の決行は遅れに遅れた。
4月28日。包囲から24日目——。
ギリシア火薬で金角湾に浮かぶオスマンの船を焼き払う作戦がついに決行された。
だがその作戦は内通者の知るところとなり、兵士たちはトルコ軍に待ち伏せされた。200人もの犠牲者をだし、ビザンチン帝国はおおきな痛手をこうむることになった。