第29話 コンスタンティノープル陥落2
トルコ軍は圧倒的な戦力で、昼夜をとわずテオドシウスの城壁にむけて砲弾を撃ち込んだ。しかし、ウルバン砲はまだ未完成の大砲で、三時間に一発、一日7発程度しか撃てなかった。連射すると砲身にヒビがはいって爆発する可能性があったからだ。
それでも都の人々は四六時中砲撃の音と城壁が崩れる音を耳にして恐怖に震えていた。だがこの三時間の砲身の冷却時間が、ビザンチン帝国側に壊れた壁の修復時間を与えた。要塞の壁は損害を受けたが、すばやく修復された。
また土をつめた木樽を並べたことで、砲弾の威力をそぎ落とすことに成功した。
包囲から13日目——。
一週間にわたる砲撃も奏功せず、追い詰められはじめたメフメトは、その日の朝、歩兵隊を投入した。
メフメトはみずから兵士を鼓舞すると、軍楽隊の音楽や雄叫びで威嚇しながら突撃を開始した。だが精鋭部隊イェニチェリをも参戦させ、後方から砲撃で援護したにもかかわらず、トルコ軍は撃滅の憂き目に遭ってしまう。
鎖帷子だけをまとい、その身軽さで正確に倒す術に長けたイェニチェリと、厚い鎧で防御し大きな剣を振り回す、イタリアの戦い方の差が勝敗をわけた。
ビザンチン帝国側の指揮をしたのは、ジェノヴァ共和国の傭兵隊長、ジョヴァンニ・ジュスティニアーニ・ロンゴ。
その頃のビザンチン帝国は正規軍を揃えることができず、その防衛を傭兵に頼らざるをえなくなっていたが、その防衛の要である隊長も傭兵の彼に任された。
ジュスティニアーニは個人の資金で700人の傭兵を雇い、ビザンチン帝国入りした人物で、今や帝国の防衛と攻撃、両方の要であった。
防衛においてはギリシア人、ジェノヴァ人とヴェネツィア人の反目を押さえ、砲撃を受けた城壁の修復にあたらせ、攻撃においては精鋭たちとともに戦場で剣を振るい、10倍の戦力差を跳ね返す破竹の戦いを見せた。
包囲から14日目——。
前日の惨敗をうけたメフメトにいくつもの試練がのしかかる。
自分の恩師でもあった大宰相のハリル・パシャが、戦いに消極的な反対派とともに、この地からいったんひくことを提案してきた。ヨーロッパにて十字軍が編成され、加勢にくる可能性があり、それを怖れてのことだった。
さらにジェノバから海軍の援軍がくるという知らせが間諜からもたらされた。
もしそれが本当なら、この2〜3日のあいだに撤退の準備をしなければならない。
オスマン=トルコは元々は陸戦には長じていたが、海戦は得意としていなかった。メフメトはその弱点を補うべく、海軍強化に乗り出していたが、いきなりその実力を試されることとなった。
メフメトは元イェニチェリ出身の勇猛果敢な男、バルトル・スレイマン・パシャをその指揮官に任命し、戦艦30隻、ガレー船126隻を配備し、ジェノバ海軍に備えさせた。
コンスタンティノープルはセラグリオ岬に位置し、三方を海に囲まれているため、陸路を鉄壁の城壁で固めてしまえば、容易に攻略ができない長所をもっていた。
南にあるマルマラ海は潮の流れが安定しない荒海で、船を接岸することができず、東のボスポラス海峡から来ても、北にある金角湾に入らない限り船を接岸することは不可能だった。
だが、その金角湾にある港に入港するのは、絶対に不可能であった。
そこには700年間、この都市を守ってきた強固な鉄鎖が張られていた。岬から対岸にあるガラタ地区までの800メートル、重さ30トンの上げ下ろし可能な鉄の鎖が、敵の侵入を阻んだ。
この金角湾に入港される前に、メフメトはジェノバ海軍の船を沈める必要があった。