第16話 ヴラド・ドラキュラの逆襲
ワラキアの地主貴族アルブは、国土の三分の一を掌握する大貴族であった。彼は四代前のアレクサンドル・アルデア公の後見人をつとめたことで、強大な権力を欲しいままにしていた。
流通においては領内の長老の威光と、封建的特権を盾に不当な金額で品物を買い上げ、商品を専売した。政においては、公職についていないにもかかわらず、宮廷に出仕して、顕然たる勢力を保持し続けた。息のかかった地主貴族を『公室評議会』の要職につけ、皇位継承などの重要な決定にも主導権を発揮していた。
だが、『公室評議会』を改革し、専制政治へ歩みをとめようとしないヴラドをうとましく思い、反対派の貴族たちと打倒ヴラドを計画した。
アルブはトランシルバニアに亡命中のダン・ダネスティ三世とも気脈を通じ、ヴラド亡きあとの領主としてするはずだった。
だが、ヴラドはアルブたち反対派の動きを封じるべく、反乱罪で『公室評議会』の議員とその家族を逮捕し、市中に串刺し刑にして晒すと、ゴボラ修道院の掠奪を働いたとして、アルブを逮捕し斬首にて抹殺した。
領内の実力者からの後ろ盾をうしなったダン・ダネスティ三世は、ハンガリー国王、マーチャーシュに取り入った。
ダネスティ家はヴラド二世亡きあと、ヴラドを輩出したドラクレシュティ家と公位継承を争う名家で、ヴラド三世に破れたあとも、虎視眈々と公位を狙っていた。
1460年 ダン三世はハンガリー領トランシルバニア南部のブラショフの市民を味方につけて、ワラキアの攻略の準備を進めていた。
ダン三世はブラショフ市民たちへ、自分はアムラシュとファガラシュの領主であると名乗った上で、ヴラドのおこなう非道な行いを糾弾し、自分がかならずワラキアの事態を回復させると誓約した。
それを画策したのは、前君公ブラスディラヴ二世(ダンの父親)時代の『公室評議会』メンバーなどの政府高官。長老であるアルブをうしない、ヴラドに追いやられた旧勢力によるクーデターであった、
ハンガリーのあと押しで兵を挙げたダン三世に対して、ヴラドは精鋭の騎馬軍団を投入した。公位就任直後から手塩にかけて育成してきた、ヴラド直属の正規軍だった。
ダン三世の借り物の寄せ集め兵士に対して、充分な鍛練を積んだ部隊では戦力差は明らかであった。
捕らえられたダン三世は自分で自分の墓穴を掘らされたうえに、そのなかに生き埋めにされた。ヴラドはかってハンガリー王マーチャーシュの父、フニャディ・ヤノシュの手の者によって、焼きごてで失明させられ、生き埋めにされた兄ミルチャの報復をここでおこなった。
ブラショフ市民はヴラドの復讐をおそれて、謝罪のための使節団を派遣したが、ヴラドは許さなかった。この地域の村落に目をおおいたくなるほどの報復をおこなった。
家はすべて焼かれ、収穫物は掠奪しつくされ、住民は郊外の教会に連行されたのち、近くの丘で串刺し刑に処された。
この民衆への蹂躙は絶対命令であった。住民の抵抗を受け、村を焼き払うのに失敗した隊の隊長は容赦なく串刺し刑にされた。
ヴラドがブラショフ側と和解したのは、ブラショフに逃亡していたワラキア市民の全員を引き渡すという条件の元だった。
ヴラドは容赦なき粛正と徹底的な弾圧によって、ワラキアの実権をついに掌握した。
そのヴラドでさえもオスマン=トルコからの、無慈悲な要求は飲むしかなかった。
だが、服従を誓いながらも、ヴラドは反旗を翻す機をうかがい、そのために全力で準備し続けた。