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ぼくらは前世の記憶にダイブして、世界の歴史を書き換える 〜サイコ・ダイバーズ 〜  作者: 多比良栄一
ダイブ4 古代オリンピックの巻 〜 ソクラテス・プラトン 編 〜
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第237話 わたしの名前はスピロ・クロニスです

 スピロ・クロニスはカメラの前で息をもう一度整えなおした。だが、これですくなくとも十回目。さっきから同じことを何度もしている。


 バカみたい——。


 スピロは正面のパソコン画面に映った自分の顔を確認した。

 髪の毛はいちおう梳かしてもらっていたが、顔はすこし汗が浮いていて、カメラの角度によっては、てかってみえる。そこだけでもファンデーションを塗り直せれば、もうすこし印象はちがって見えるのだが……。

 いまさらながら言っても仕方がない。

 それよりもチェックしておくべき重要なことは別にある。


 スピロは鼻に挿管された管にずれがないか、車椅子の右側のひじ掛けに備えつけられた10キー式の入力端末の調子がわるくないか……。


 それもさっきから何度も確認した。



 準備は大丈夫だ——。

 失望される覚悟はもうとっくにできてる。


 コール音がして、モニタにむこう側の様子が映しだされた。

 カメラの前に群がるように、こちらをのぞきこむ顔が見える。

 真正面にセイがいる。その両脇にマリアとエヴァ。聖のすぐ左うしろにゾーイ……。

 そしてセイのうしろに隠れるように立っているのが、ガールフレンドの広瀬かがりなのだろう。

 とてもやさしそうなひと——。


 スピロは第一印象でそう感じた。

 セイが彼女にやすらぎを感じているのが、ひと目見ただけで理解できる。

 たぶん慎ましやかでけなげなのだろう。だが覚悟をもった……、だれにも負けない覚悟をもった目をしている。


 スピロはひじ掛けの10キー式の入力端末を巧みにあやつり、文字を入力した。


【Καλησπρα(カリスぺラ)】


 画面上の自分の顔の下に、翻訳されて【こんばんは】と表示される。

「こんばんわ、スピ口。こっちは夜なんだけど、そっちは夕方なんだろ。あわただしい時間なんじゃあなかったかい?」


 一番最初にセイが口を開いた。

 とても嬉しそうな笑顔いっぱいの表情を浮べている。今まで自分を見た人の誰ともちがう表情。スピ口はすこしとまどいながら、端末に指を這わせた。

【ダイジョウブ。イソガしくない】


「スピ口、ぼく聞いたよ。とっても驚いた……」


 えぇ、驚くにきまってる。わたしはこんな重度の障害者なのだから……。


「あの五賢人を問答でぐうので音がでないほどねじ伏せたんだってぇ。エヴァから話を聞いて……。もう大興奮したよ」

 画面のむこうのセイは、興奮をおさえきれないように拳をにぎりしめながら言った。


 スピロはすこし面くらった。


 セイはなぜはしゃいでいるのだろう?。


 ふつう、自分の姿を見たら——

 哀れむような目をむけるか、忌避して目を背けるか、好奇な目でじろじろ見るか、わたしは理解者だとばかり必死で正対しようとする——。

 そう、必ずどれかひとつ、いや、いくつかがむけられるはずだ。


 だがセイはこれといって特別に意識する様子もなく、話を続けていた。

「アリストパネスさんが思いっきり落ち込んじゃったとか、プラトンさんにデカルトの命題をぶつけて追い詰めたとか……。いやぁ、ホント悔しい。ぼくもその場にいたかったぁ。本気(マジ)でさ」


【ワタシはなにもしていません】

 スピ口はそう返事をしたが、モニタのむこうのセイは目をまるくした。ほんとうに心底おどろいた目だ。

「なにを言ってるんだい、スピ口。ぼくらをあんなに助けてくれておいて」


 スピロはセイが本気でそれを言っているのだとわかって混乱した。あわてて両脇にいるマリアとエヴァの方に目をむけた。しかしマリアもエヴァもここはセイの時間だとばかりに、わざとカメラから目を反らして、こっちを見ようともしていなかった。


「どんなふうにすれば、あんなに博識に、いや、それとあんなに頭が切れるようになるんだい?」


【イチニチジュウ、ホンをヨんでる。ネットで】

「あーー、やっぱ、そうなのか。日々の積み重ねかぁ。ぼくには無理だなぁ」

 モニタのむこうのセイは大袈裟(おおげさ)な仕草で嘆いてみせた。それを反映したのか画面の下の翻訳文が、芝居がかって表示された。

 まるでギリシア悲劇の台詞のようだ。


「ところでスピ口、君は次、いつ潜るのかい?」

 セイがなにげない口調で問いかけてきた。

 スピ口は翻訳されて表示されている、その文字をじっと見つめた。その意味をしっかりと噛みしめながら、ひとつひとつの打鍵を確認しながら打ち込んだ。


【ワタシはもうにどとモグりません】


 セイは表示された翻訳文を前のめりになって覗き込むと、満面の笑みを浮べた。


「ああ、よかった!」


 そのひと言がすべてを物語っていた。それこそが正当な評価だ。

 だが、スピロはすこし心の重石がとれるような気がした。さきほどからの混乱がすこしづつおさまっていく。

 が、次の一言はあまりに予想外だった。


「だったら、ぼくらと一緒に潜ってくれないか?」


 スピ口はすぐに、それがなにかの間違いだとわかった。

 翻訳の誤変換かなにかで、意味をとり違えていると——。

 最近、このAI翻訳機はミスが多い。つい先日も翻訳した文章の、文法間違いがいくつかあった。

 だがセイは続けて言った。


「君が必要なんだ。スピ口」


 ほら、やっぱりこの機械はおかしい。

 その証拠に翻訳の文字がぼやけているではないか。文字がにじんで見えてちゃんと読めない——。

 さらにカメラも壊れはじめた。

 セイの姿がぼやけてきている——。


 だが、セイは顔をカメラに近づけると、唇のうごきがわかるように、ゆっくりと口を開きながら英語で発音した。


「I・Want・You」


 今度は見間違いようがなかった。

 ぼやけて、よく見えなかったが、間違いなくセイのくちびるはそう動いた——。


 ふとスピ口は自分が泣いていることに気づいた。

 さっきからモニタの映像や文字がぼやけているのは、そのせいだったのだ。

 スピロは目から涙があふれてくるのをとめられずにいた。



 生まれてはじめて……。

 生まれてはじめてそんなこと言われた——。



 スピロの咽から嗚咽(おえつ)のような声が漏れた。

 モニタの向こうから、セイがあわてふためいたような声が聞こえてきた。

「あぁ、ごめん。スピ口、ぼくの英語、まちがえていた?」


 マリアとエヴァが揶揄(やゆ)する声がそれに重なる。

「バカか、おまえ。いまのは恋人に言うような言い方だったぞ」

「かがりさんの前で、よくも言えたものです」


 その時モニタの向こうで、ゾーイがセイにむしゃぶりつくのが見えた。セイの胸に飛び込むなり、顔をうずめて、大粒の涙を流しながら大声をあげて泣いている。


 おぉ……、おぉ……。ゾーイ、ゾーイ。

 わたしのかわいい妹。こんな障害を持った兄のせいで、生まれた時から迷惑をかけっぱなしのかわいそうな妹——。

 子供の頃から、わたしのせいでどれほど……、どれほど友達から馬鹿にされ、苛められたのだろうか。

 いまも毎日のように、わたしの食事の世話から排泄物の処理までさせられて、それでも不平も言わないやさしい妹——。

 どれほどの年月をわたしという重荷で、無駄にさせられたのか。

 わたしはもうこれ以上、この子の人生を奪うまいと決心した……。


 なのに……。


 セイ、あなたはなんて人なの——?。

 とってもやさしくて、残酷——。


 わたしは自分の目から伝いおちる涙を、自分ひとりで拭えない身体だというのに……。

 

 スピ口は泣きじゃくる妹ゾーイの姿を見て、涙がとまらなかった。

 とめどなくあふれる涙を流れるままにして、スピロはゾーイをまぶしそうに見続けた。抱きつかれているセイはまごついてマリアとエヴァに助けを求めていたが、ふたりはあったかな目でそれを見まもっている。

 セイはゾーイの頭をやさしく包み込んだ。

 そして、ゾーイを正面から見すえたまま力強く宣言した。


「スピロ、ぼくはこの先も君と旅をしたい。ゾーイも一緒だ。いいよね!」



 夢みることすら許されなかった誘い——。


 また涙が目元からあふれだす。


 だが、スピ口はわななく唇をきゅっとひき結ぶと、ふるえる指で返事をした。


【マリアとエヴァは?】


「大丈夫。マリアとエヴァが反対しても、ぼくは……」

「ばあか、誰が反対するって言った!」

 マリアがセイの頭をかるくこずきながら言った。

「おまえが言いださなきゃ、オレが誘ってる!」

「そうです。わたしもすでに財団の方にかけあって予算を申請しておりますわよ。スピロさんへのヘルパー費用の計上をね」

 またスピ口の目から涙がこぼれ落ちた。

 

 自分が生まれてきたのはまちがいだった。

 社会のなんの役にも立たない存在だと、何度思ったことか——。

 死にたいと願ったことはもう数えきれない。


 でもそんな私を必要としてくれる人たちがここにいる——。



 わたし……、生きてていいんだ。



「ほんとうにいいのかい。マリア、エヴァ」

 セイが声を弾ませている。


「は、そんな期待まみれの顔しやがって……。おまえがリーダーだろうがぁ」

「そうです。それに申請取り下げの手続きのほうが面倒です。そんなの御免ですよ」

「ありがとう、マリア。ありがとう、エヴァ」

 セイはゾーイの頭を胸に抱いたままで、深々と頭を二人に下げていた。

 

 あれは日本式の感謝のジェスチャー。

 自分もおなじように身体を動かせたら、みんなにどれほど深々と頭をさげてやれることだろうか……。


 ふいにゾーイがセイの胸から顔をあげ、飛び込んでくるような勢いで、モニタ画面へ顔を近づけてきた。

 ゾーイは涙に濡れる顔をこちらにむけて、ふるえる唇の下からひとことだけ呟いた。


「お姉ちゃん……」


 そのひとことだけで充分だった。



 スピロはうまく動かせない声帯をふり絞って、声をあげて泣いた。

【※大切なお願い】

お読みいただきありがとうございます!


少しでも

「おもしろかった」

「続きが気になる。読みたい!」

「このあとの展開はどうなるの?」


と思った方は、

広告の下にある 『☆☆☆☆☆』 部分から、作者への応援お願いいたします。

正直な気持ちでかまいません。反応があるだけでも作者は嬉しいです。


もしよければブックマークもいただけると、本当にうれしいです。

どうかよろしくお願いいたします。

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