第192話 若い御者のからだにはおびただしい目がついていた
若い御者はこちらをじっと見ていた。
哀しい目、怒った目、笑った目、泣きそうな目、冷たい目——。
あらゆる感情を感じさせるいくつもの目で、セイを見つめていた。
その若い御者のからだには、おびただしい目がついていた。
その数を数えるまでもない。
ギリシア神話に登場する全身に百の目を持つ怪物アルゴスだとセイは直感した。
「ルキアノス！。彼が怪物に乗っ取られた！」
ルキアノスはセイのことばにあわてることはなかった。ゆっくりとこちらに首をまわして振り向いた。
が、その首はありえないことにもう一回転した。
セイは愕然とした目でその様子を見ていたが、首を一回転半させたのち、ルキアノスは沈痛な表情を浮かべて言った。
「残念だ、セイ。主が変わった」
「主が？。アルキビアデスじゃないのか！」
「今はアンドレアルフス様が我々の主だ」
セイはルキアノスの変貌していくさまに目を見張った。ルキアノスの髪がまるでたてがみのごとく長く伸びていた。が、その変化に目を奪われている隙に、いつの間にかその脚は猛獣を思わせる隆としたものになっていた。先っぽが蛇になった尻尾が生え、御者台の床を這い回る。さらに背中からは御者の制服『キスティス』を突き破って、羽根が生えかかっていた。
スフィンクス（スピンクス）——。
エジプトの遺跡で見られるものとはすこし見た目はちがっていたが、まちがいなかった。
ふいにガクンと戦車がゆれる。セイがおもわずよよろけそうになるほどの衝撃。右側に目をむけるとアルゴスが戦車をぶつけてきていた。ガリガリと音がしてアルゴスの戦車のどこかがセイの戦車にひっかかったのがわかった。、
セイは戦車の側面に目を這わせようとからだを傾けた。そこをアルゴスが身を乗り出しセイをつかもうとした。セイが身をよじってそれを避ける。
うしろからルキアノス、いやルキアノスだった者の声が聞こえた。
「あたらしい指令をいただいた……」
「セイ。おまえに絶望を与えよとな」
