第178話 あと何人抜けばいいのかがわからない
アンドレアルフスはゼウス神殿の上に這い登り、エヴァとマリアが自分を追いかけてヒッポドロームへ向かうのをやり過ごしていた。
エヴァたちが気づかずに神殿の横をすり抜けていったのを確認すると、アンドレアルフスは空中から何かをつかむような仕草をしてから、手のひらを開いた。その手のなかから蝶とも蛾とも見える、それでいてどちらとも違うような、毒々しい紋様の羽虫が何百と飛び出てきた。
羽虫は羽ばたくたびに、妖しげな鱗粉をあたりにふりまく。
「さぁ、おまえたち、ここにいる人間どもを魔物に変えてくれ」
と、そのとき、空からドラクマ硬貨の雨が降ってきた。
「なに?」
コインの雨はゼウス神殿の屋根にも降り注ぐ。カチン、カチンと乾いた音をたててから、地面へ跳ね飛んでいく。アンドレアルフスはその様子にすこし戸惑っていたが、ヒッポドロームのほうから観客たちが、大挙してこちらへ押し寄せてくるのを見て、こめかみまで口を開いて笑った。
「ちょうどいい。魔物の材料がこちらへやってきてくれた……」
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『くそ、——』
セイは自分の前を走る戦車の列を睨みつけながら、ひとり焦りをつのらせた。
もうすぐ十九回目の折り返し点に向かおうかというところだったが、今自分は全体の何番目にいて、あと何人抜けばいいのかがわからない。
だがあと四回折り返すだけでレースは終わってしまうのは確かだ。
『ずいぶん上位にあがったはずなのに……』
アルキビアデスの御者たちが先を譲ってくれたのに、まだ先頭のルキアノスの姿を捉えきれないのにセイはいらだった。アルキビアデスの命令、そして御者頭ルキアノスの指示によるものだとはいえ、彼らの無念の思いを背負っているのだ。その協力に報いるとするなら、自分が優勝するしかない。
だから、すこしでも前にでたかったが、道幅いっぱいに横並びになった三台の戦車がセイのすぐ前をふさいでそれを阻んでいた。スローペースのレース展開をしいられたことで、戦車同士の間隔が狭まり、お互いを牽制しあうばかりで、すでにこの順位のまま二周している。
順位が変わらない膠着状態のまま、ただただ周回数だけを刻んでいく様子に、観衆たちも業を煮やしていた。
デッドヒートやクラッシュを期待していた観客たちから、口々に野次が飛び交い始めている。