第153話 トゥキディデスの弁明1
「それが未来でのわたしの作品の評価なのかネ」
スピロに自分の将来を切って棄てられたアリストパネスは食い下がった。
エヴァはスピロのあまりに歯に衣着せぬ物言いに、すこしアリストパネスが気の毒になった。
「いえ、あなたの作品には価値がありますよ。市井の世相や風俗がかいま見れる点で、歴史的価値は見逃せません。ただ、文学的に価値があるかというと……」
それだけ聞くとアリストパネスはその場にがっくりというなだれた。あまりの憔悴っぷりにエヴァは、そのまま死んでしまうのではと思い、思わずかけよりそうになったが、スピロがそれを制するように声をかけてきた。
「エヴァ様。わたくしは本当に自分が腹立たしくて仕方がありません。わたくしたちはこの世界に降りたったときから、騙され続けていたのですから。思い返せば、誰かが叫んだ『第94回オリンピックへようこそ』ということばからして、最初の『レッド・ヘリング』……つまり偽の手がかりだったのです」
エヴァは目をぱちくりとさせて、スピロを見ていた。
「それを迂闊にも掴んでしまったばかりに、四年もの時を偽るという壮大なトリック、いえ、壮大な仕掛けにまんまと引っかかってしまった。痛恨の極みです」
エヴァは賢人たちの顔色を伺うようにみまわすと、おずおずとスピロに言ってきた。
「スピロさん、ごめんなさい。賢人の方々はわかってらっしゃるのでしょうが、わたしにはあなたが、なにを言っているのかわかりませんわ」
本気で困り果てた顔をしたエヴァを見て、ソクラテスが気づかうように言った。
「お嬢さん、ご心配なされるな。わしらにもスピロどのの言っている意味がちっともわかとりゃせんよ」
「さきほどまで、今がいつなのか確信を持てずにいました。ですが、『第94回オリンピック』と耳にして、ここがわたしたちの世界での『紀元前404年』であると判断しました——」
スピロがトゥキディデスのほうに目をむけてから続けた。
「そして、トゥキディデス様。あなたが『新作』である『戦史』をこのオリュンピアで喧伝されているのをみて、それが間違いないと確信したのです」
「紀元前404年……。はじめてきく年号だな」
トゥキディデスがその数字を舌のうえで転がすように反芻した。
「当然です。この時代から400年後に制定された暦です。そしてこの暦での紀元前404年にアルキビアデスは暗殺されるのですが、まだこのオリンピックの時点では生きていてもおかしくない。そう合点した……いや、させられた」
「これこそがアリバイ、まさにアルキビアデスの『存在証明』になったのです」