第150話 アリストパネスの弁明3
「わたしは今まではクレオンのように、政治を利用して『うまくやっている』連中を痛罵する喜劇を作ってきた。喜劇のなかで『うまくやっている』者たちをやり込めて、現実の世界では甘い汁の吸えない者が、いい目をみられる世界を構築してみせた。
だが、あのシチリア島遠征失敗は、以前のように甘い汁を吸える者すら生み出せないほどに、市民の全階層の人々が苦しんだ。先導したアルキビアデスを糾弾するような喜劇を作っても、観衆にカタルシスを与えることが不可能なまでに戦争の疲弊がアテナイ市民に浸潤していたのだよ」
アリストパネスはその時の苦しみを思い出したのか、おもわず目頭をおさえたが、目元をぬぐう仕草をすると力強いことばで続けた。
「だからわたしは物言わぬ女性に、戦争をやめようとしない男たちにむかって言わせたのだ。セックス・ストライキという絵空事で、現実世界の男たちへの反省を促したのだ。わたしはアルキビアデスを断罪することより、その扇動に乗せられた市民に対しても非難することを選んだのよ」
「つまり、アリストパネス様。先ほどわたしの問いかけでアルキビアデスに言及しなかったのは、アルキビアデスの存在を隠匿しようとしたわけではなく、本気であの男のことを気にかけていなかった、ということなのですね」
「それはおかしいではないのかね。『喜劇』というのは、その時代の権力者を痛烈に非難し、人々に笑いとカタルシスを与えるものではないか?」
トゥキディデスがアリストパネスに失望を隠さない口調で言った。
「トゥキディデス、あなたの言うのはわかる。だが、男性市民の優越と女性の抑圧の上になりたっている、このアテナイの民主政が崩れ去ろうとしたとき、それがはたして一部のデマゴーグだけのせいだけなのだろうかネ。あなたもアテナイの敗因は、市民の奢りであると喝破していたではないか」
「まぁ、そうではあるが……」
トゥキディデスがアリストパネスのことばについ舌鋒を緩めかけたが、スピロはそれを許さなかった。
「アリストパネス様。どうにもあなたの言い訳を聞いていますと、女性側の立場を代弁しているかのような物言いですね。あなたは女性擁護派の悲劇作家エウリピデスを嫌ってらしたはずです。ソクラテス様同様自作でコケにまでしてね。そんな方が女性の立場を真剣に考えておられたとは到底信じられません」
「な、なにを言うのかネ」
「あの作品でアルキビアデスの名前を出さなかったのは、単純に個人攻撃をしてもウケなかったからだけでしょう」
スピロはことさらに厳しい目でアリストパネスを見据えた。
「『女の平和』のあとに書かれた『女の議会』は、女達が男装して民会に乗り込み、男顔負けの雄弁を発揮して、自分たちの意見を国に採用させるという喜劇です。ですが、あなたの描く平和な世界は、市民で女性を共有しようなどという、女性をモノ扱いした、むしろ女性蔑視のものでした、それのどこが抑圧された女性の代弁者なのですか?」
アリストパネスがいきり立って、スピロに反駁した。
「だが、このギリシアでは、いや、すくなくともアテナイでは、『女性』こそが所有すべき第一の対象物なのだ。男たちは、金よりも、土地よりも、女性を争奪するために命を賭けることすらあったのだよ」
「つまり、抑圧された女性も、疲弊した市民の代弁も、権力者への非難も、あなたにはどうでもいい話だったわけですよね。それよりもただ、男性主体の観衆を爆笑させるウケを狙えればいい。祭典での競演で一等賞をとれればいい……。そうですよね」
スピロはこれ以上ない侮蔑の目をアリストパネスにむけて吐き捨てた。
「あなたの作品が、下劣でなんの価値もないと言うのは、そういうことなのです」