第140話 ソクラテスとの問答3
「『集合的無意識』とは、すべての人間の無意識の最深層に存在する、全人類に共通する普遍的な意識構造のことです」
「すべての人間の?。であれば、わたしにも聞こえないとおかしいじゃないかネ」
「おそらくソクラテス様は、個人の無意識を超えた深層心理の内にある、『集合的無意識』からの声を聞き分けることができて、それを神の意志を伝える神霊の声として捉えていたと解釈できるかもしれません」
「『集合的無意識』……。うむ、この考え方は、人間たちのなかに眠る『イデア』の知識を、わしが汲み上げて、それを神的なお告げとして聞いていたと考えるべきかもしれんな」
ソクラテスが『集合的無意識』を勝手気ままに解釈したが、プラトンがすぐさまそれに相槌をうった。
「先生、それは間違いのない真理です。スピロさん、これもフロイト派の哲学なのですか?」
「いいえ。こちらは先ほどのフロイトの弟子、カール・ユングの説です」
「弟子?。まるでわたしとソクラテスのようではないですか!」
「まぁ……そうですね。ですがこちらは二人とも精神科医です。哲学者ではありません」
「精神科医?。精神を診れる医者がいるというのかね」
今度はヒポクラテスが質問を投げつけてくる。
「はい、未来ではかなり研究が進んでおります。ヒポクラテス様が著書でしめされた『神聖病』も『ヒステリー』も、未来では精神病理学のなかで、どのようなものかわかっております」
「なんと、そうなのか!。では『神聖病』の原因は何なのか、教えてもらえないだろうか。旧来の医師や呪術師たちは『神聖病』は憑き物や神業によるものだと主張していたのだ」」
「いいえ。『神聖病』……、わたくしたちの世界でいう『てんかん』は、脳に起因する病気です。ヒポクラテス様、あなたの指摘通りにね」
「あぁ、やはりそうだったか。わたしはそれをずっと主張してきたのだ。脳に問題がある病気だと……」
「えぇ、『神聖病』は、脳のなかの神経細胞を走る電気信号が、異常を起こすことによっておきる発作です」
「脳のなかを『電気信号』という物体が動いているのかね。なんとも興味深い……」
「ええ。まだまだわたくしたちの世界でも全部は解明されていませんが……。ただ残念ながら、あなたが指摘した『ヒステリー』のほうは間違っています。あれは女性特有の病気ではありません。あなたは『子宮』に因果関係があるとしていましたが」
「そうなのか。わたしは『子宮』に原因があると思い、『ヒステロン(子宮)』と命名してしまった」
ヒポクラテスの顔はそれでもすこし満足そうだった。だが、そこにソクラテスの苛だった声がわって入ってきた。
「名前なんぞはどうでもよかろう。スピロどの、なぜわしが傲慢だったから死罪になったのか教えてくれんかね」
ソクラテスは苛立ちを隠そうとしなかった。広場を行くありとあらゆる人々を苛立たせてきたソクラテスが、苛立っているのは少々見物ではあったが、スピロはヒポクラテスとの会話を邪魔されたのが気に入らなかった。
「なぜだったかですかって?。それは有罪が決まったあと、あなたの量刑を決めるときに、あなたは傲慢にもこう言ったからです……」
「わたしにふさわしい刑罰は、国費をもって、オリンピックの勝者たちを招く美しい迎賓館で、わたしをもてなすことです、とね」