第139話 ソクラテスとの問答2
スピロは長嘆息した。
「邪神を導入しているという罪に問われているのに、神話や伝説を否定するような神霊と呼ばれる存在を口にしては、言い逃れもできないかと思いますよ」
「じゃが、実際に聞こえるのじゃからしかたあるまい」
スピロは天井をみあげて、大きく深呼吸をした。未来の知識による、ただしい見解を教えてあげれば、この頭のおかしな賢人も考えをただすかもしれない——。
「もしあなたが言うように、本当に自分の頭の中で声が聞こえるのでしたら、わたくしたちの未来では、『統合失調症』などの精神疾患の症状を疑われてしまうことでしょう。
ですが、あなたが誤った選択をしようとした時に、その声がその行動を制止させようとしたのなら、それはあなたの中に備わる道徳的な意志の力であったと考えられます。それならば、あなたの耳だけに聞こえる神的なお告げは、精神分析学的概念で説明ができます」
「精神分析学?。それはなんじゃ」
「精神分析学は、心の病を診断するための医学、もしくは人間心理の理論と治療技法を体系づけた哲学というべきでしょうか……。今より2300年後の概念です」
ソクラテスとプラトン、そしてヒポクラテスまでが、おもわずからだを乗り出してきた。未来の医学、哲学という魅惑のワードは無視ができなかったようだ。
「まずひとつ当てはまるのは、神的なお告げは、精神分析学における超自我と呼ばれるものではないか、ということです」
「超自我とはなんです?」
プラトンがよだれを垂らしそうな勢いで尋ねてきた。
「そうですね……。おもに物心がつくまでの幼少期までに形成される、人間の心と行動を規制する道徳や価値観というものです。
それは教育やしつけによって作られた倫理的価値観により、『なになにをしてはいけない』と無意識的に禁止や検閲をおこなってしまう精神機構のことです。こころのなかに内在し、常に否定の形をともなって、自律的に自我の行動を抑制する存在、それが超自我です」
「なんともすごい哲学だ。これは誰が唱えた哲学かね」
トゥキディデスが興味をおさえきれずに訊いてきた。
「フロイト。ジークムント・フロイトです。ですが、これは心理学であって、哲学ではありません」
「じゃが、スピロどの。わしに聞こえる声は、自分の内なる声ではない。わしとはあきらかに違うなにかが語りかけてくるようなのじゃよ」
ソクラテスがすこし不機嫌そうに疑義を挟んできたので、スピロはさらに続けた。
「ソクラテス様に聞こえる声が、もし個人の心から独立し、自我の次元を超えた存在のとなって語りかけてくる存在であるとするなら、今度は『分析心理学』の『集合的無意識』として捉えなければなりません」
「また、よくわからないことばがでてきたが、それはなにかネ」
話についていけなくなってきたのか、アリストパネスがたまらずことばを挟んできた。