第138話 ソクラテスとの問答1
「ソクラテス様、わたくしはお恥ずかしい話ですが、先ほどやっと、この時代がいつかがわかりました」
スピロはソクラテスの目をみてから言った。どうしても一番難物のソクラテスをさいごにせざるを得なくなったのは仕方がない。
「どういうことかね?」
「今はわたくしたちの暦で、紀元前400年になるようです。先ほどのトゥキディデス様からいただいたお話で確信しました」
「紀元前?。はて、初めて聞くが……」
「ええ、400年後に作られる世界標準の『暦』ですから。ですが、今が紀元前400年なので、ソクラテス様、あなたが死罪を受けるのは来年になるのです」
「ふむ、そうか。来年……」
ソクラテスは落ち着き払って、スピロからの死刑判決を受け止めた。
実際、プラトンの『ソクラテスの弁明』で描かれるソクラテスも、死刑判決に泣きわめくことも、憤慨して抗議することもなかったのだから、当然の反応なのかもしれない。
「罪状は不敬罪。邪神を導入して青少年を堕落させているという罪状でした。告発者の首謀者は民主派のメレトス。500人の裁判員が投票して、わずか三十票差であなたの有罪がきまりました」
「わたしは抗弁したのだろう。おそらく人々の心を揺さぶるような弁明をしたはずだ。なのになぜ有罪になったのかね?」
スピロはほかの賢者たちを一度見回してから、口をひらいた。
「あなたが傲慢だったから……」
「スピロさん、なにを……」
プラトンが反射的に噛みついてきたが、横のソクラテスがそれを手で制した。
「どう、傲慢だったのかね」
「まずあなたを嫌っている人が多かった。あなたはアテナイを没落させた指導者のクリティアスとアルキビアデスの先生でもあり、恋人でもあった。時期がちがえども、このふたりに苦しめられた市民の怨嗟は、ふたりの師で、恋人であったあなたに向けられたのです」
「まぁ、その民衆の気持ちはわからんでもないな」
「それにあなたは自分の知識を商売としている『知者』たちに問答をふっかけ、かれらがじつは無知であることを暴いてまわった。みんな、あなたのことを『おしゃべり乞食』と呼んで憎んでいたのです」
「なにを言う。自分のなかの『無知の知』を教えてやったのじゃぞ。感謝されこそすれ……」
スピロはソクラテスの反論をぶったぎるように話を続けた。
「さらに——。そこにおられるアリストパネス様の書かれた『雲』に出てくる、若者に悪知恵を吹き込み、たわごとでたぶらかしている塾長のソクラテスというイメージもよくありませんでした」
「なんと、やはりわたしの戯曲の影響力があったということじゃないかネ」
アリストパネスがまわりの面々に誇示したが、だれも請け合おうとはしなかった。
「これはソクラテス様自身が弁明するときに、わざわざ話題にあげたばかりに心証が悪くなりました。
ですがなによりも、神霊のことを持ち出したのが決定的でした。自分には幼少の頃から神霊による予言的警告である神的なお告げが聞こえていている。そして自分は神々に遣わされて、この都市を目覚めさせるために、みんなを刺激している。アテナイの人々が、真実より富を気にかけていることを非難しているのだと述べました」
「それのなにがおかしいのかね?」