第136話 走路のむこうから戦車が逆走してきていた
目の前に事故現場が迫ってきた。
破砕して転がる戦車、そしてそれに繋がれたまま横たわって動けない馬たち、そしてそれをなんとかしようと必死であがく係員たち。せめて戦車一台分だけでもすり抜けさせようと、係員は戦車を両側によせて、なんとか真ん中部分のレーンから障害物を撤去した。
ぎりぎり通り抜けられるていどの幅しかなかったが、セイはそのルートに馬を誘った。 が、そのとき、係員があわてて逃げ出しはじめた。
一瞬、セイは意味がわからなかった。さっき目の前でその状況を見ていたはずなのに、自分の身にふりかかってきた瞬間、思考が停止した。
真正面の走路のむこうから、戦車が逆走してきていた。正面から走ってくる四頭の馬は、すでに暴れ馬といっていいほどの状態だった。その目は常軌を逸したと思えるほどカッと見開かれ、口にくわえた轡が抜け落ちそうなほど、よだれをしとどに垂らしていた。ぜいぜいと喘ぎ、泡を吹いているようにも見える。
マリアが作り出した『タラクシッポス』の幻影に脅えて、セイのうしろにいた馬たちが、またもや分離帯をつきぬけて反対側のトラックに逃げ込んできたのだ。今、目の前に迫ってくる転がった戦車の残骸をうんだアクシデントが、今度はセイに襲いかかってきたのだ。
セイは思いっきり外側に馬首をめぐらした。
北側の丘の観客席にむかって飛び込んでいくような角度で、戦車がおおきく膨らんだ。
目の前で三台の大衝突をみて、まだ興奮冷めやらぬ北側の丘の観客は、観客席に一直線に突っ込んでくるセイの戦車に恐怖した。いまのいま一等席と言われていた折り返し点の観客たちに、コリントの戦車が飛び込んでいったのを横目でみていたのだ。
観衆たちがあわてて逃げ出し始める。
が、観客席とトラックとを隔てる粗末な木の柵直前で、セイはトラック側に進路を切った。ぎりぎりのタイミング。遠心力でふられた戦車の腹が、木の柵をがりがりとこする。
「ふざけるなー」
「なにやってやがるーー」
怒りとも安堵ともつかない怒声がセイの背後から投げつけられる。
かなりロスした——。
セイが焦りの気持ちを募らせる。が、そのとき、斜めうしろのほうで、おおきな破壊音が響いて、同時に観衆たちのどよめきがあがった。
逆行してきたあの戦車が、後続の戦車に突っ込んでいた。おそらく5台ほど……。最後尾のグループの馬車全部を巻き込んでいるようだった。
『セイさん、あんたが今いちばんしんがりになっちまったよ』
ゾーイの声が頭に飛び込んできた。
『わかってる。すくなくともうしろから煽られることはなさそうだ』
『いいや、安心じゃない。先頭の戦車はもうすぐセイさんの背後にいる』