第135話 トゥキディデスとの問答5
「あの年か……。トゥキディデス、そなたも憶えておろう。あの年はこのオリュンピアにおいてオリンピア大祭が開催された年じゃ。ゴルギアスのヤツがスパルタとバルバロイ(異民族)であるペルシアとの同盟を声高に非難する演説をおこなったはずじゃ」
「ええ、そうでした。あれは見事な演説だった」
ソクラテスのことばにトゥキディデスがつい追従した。が、プラトンがそれに異議を唱えた。
「なにを言うのです。トゥキディデス。あんな弁論術だけの『弁論家』のことばは技術と呼べるものではありません。化粧法・料理法の術とおなじ類いの経験や熟練にすぎない、ただの『迎合』と呼ぶべき、醜く、劣悪なものです。
真に尊ばれるべきは、確かな理論に基づいた知識と技術にもとづいたことばでなければなりませんよ」
「そうなのじゃよ、トゥキディデス。プラトンの言う通りじゃ。わしは10年ほど前に、ゴルギアスと問答をしたことがある。そのときわしは弁論術というのは、知識を持った他者よりも自分のほうが知識があるように見せかける技術であると看破してやった。
無知な大衆を前にして、知識があると思わせられれば、本当に『知識』をもちあわせている必要もない。
つまり弁論術とは『理論」を備えず、『最善』を考慮せず、『快楽』を餌にして無知な人々を釣り、欺く術なのじゃ。トゥキディデス、そなたほどの者が無知な人々のように欺かれてはいかんぞ。
わしは弁論術のような術を持ち合わせなかったことで、もし死刑になることになったとしても、動ずることなく死の運命に耐えるじゃろうな」
ソクラテスがすこし胸をはって、トゥキディデスにむかって言いはなった。
「ですが、すぐれた弁論術で大衆と『迎合』し、アテナイを敗戦においやったアルキビアデスは、あなたの弟子なのですよ」
ソクラテスのすこし高揚した気分をへし折るように、スピロが冷徹に指摘した。
「あなたが授けた『哲学』も、どうやら『真実の人』を生み出せるようなものではなかった。だとすると、ゴルギアス、ヒッピアス、プロタゴラスたち『弁論家』と比べて、どれほど優れているのでしょうか。ねぇ、トゥキディデス様」
「あ、いや、それを私に問われても……」
「そうですか?。厳密な史料批判を行った上で、正確を重んじて論述する『歴史家』であるトゥキディデス様から見れば、なんの『証拠』も『事実』もなく、ただ『知識』という概念だけをひけらかして優劣を競っている連中は、それだけで『偽りの人』に見えるのではないでしょうかね」