第131話 トゥキディデスとの問答1
「よい医者であったにきまっている」
ヒポクラテスはことばをうしなっていたが、それを救援するようにトゥキディデスが語気を強めた。スピロはトゥキディデスに、にっこりと微笑みかけた。
「えぇ、トゥキディデス様、もちろんです。ヒポクラテス様はすばらしい名医です」
「そうじゃろう、そうじゃろ。そなたが簡単に貶めてよい人物ではないわ」
その力強い助太刀をもらい、ヒポクラテスが声をはって謝辞を述べた。
「トゥキディデス様、ありがとうございます」
「まぁ……いいでしょう。では、次はトゥキディデス様におききすることにしましょう」
「さて、トゥキディデス様。あなたの『戦史』で記述された『アテナイの疾病』の記述は大変貴重なものでした。ところで、お聞きしたいのですが、『戦史』で描かれたペロポネソス戦争、あなたは、この戦争の原因はなんだと考えられていますか?」
「ふむ、簡単に言ってくれる。だが、そうだな。しいて言えば我が故郷であるアテナイの奢りだな」
「それはたとえば?」
「ペルシア戦争でアテナイがペルシアに勝ったことが発端だ。アテナイはギリシアの都市の力を借りて強大な海軍を創設し、ペルシアを打ち破った。だが戦争終結後も海軍維持のために資金を要求し、その仕組みがいつの間にかアテナイへの上納金となったのだ。
そのおかげで、アテナイはギリシアの覇権を握ることになる。覇権を握ったアテナイは奢り高ぶり、ほかの同盟諸市を事実上アテナイの属国としていった。それがギリシア世界内部の対立、そして戦争へとつながったのだよ」
「それでアテナイの勢力拡大を怖れたスパルタがペロポネソス同盟を率いて、デロス同盟のアテナイとがぶつかったのですね」
「しかたがない。一旦ゆだねられた覇権をうけとり、『体面』と『恐怖』と『利益』の三つの強い動機のとりことなった我らは支配権を手放せなくなったのだ。強者が弱者を従えるのは古来からの世の常で、けっして我らがその先例を設けたわけではないがね」
「まさに『トゥキディデスの罠』……というわけですね」
「なにかね、それは?」
「従来の覇権国家と新興の国家が、戦争が不可避なまでにぶつかりあうことを『トゥキディデスの罠』と、わたくしたちは呼んでいます。残念なことに、今のわたくしたちの世界でも、アメリカという覇権国家と中国という新興国家のあいだで、今また起きようとしていることです。どうして戦争はやめられないものなのでしょうか?」
「ふ、正義を語るつもりかね?。だが力によって獲得できる獲物が現れたとき、ただしい分別ができたとしても、侵略を控える人間などあろうはずがない」
「ですが、アテナイはスパルタに負けた——。なぜでしょうか?」