第125話 ヒポクラテスとの問答2
「この病気については2つのおおきな『謎』があるとされています」
スピロがヒポクラテスをみつめながら言った。
「一つ目の謎はこの疾病がなんという病気であったかということです。トゥキディデス様の『戦史』によれば、突然の発熱からはじまり、口内出血、嘔吐、痙攣、発疹、腫瘍などあらゆる病症を呈したのち、7日から9日で死亡するとあります。またたとえ治ったとしても、目が見えなくなったり、記憶をうしなってしまうそうです」
「あぁ、そうだった。しかも患者にちかづけばたちまち感染して、看護人や多少なりとも人道に思いがある人々を、みな巻き込んだのだ。ほんとうにおそろしい病気だった」
「未来でもこの病気がなんであったかが、いまだに『謎』とされています。すこし前までは『ペスト』というのが定説でした。ですが、その後の研究で『発疹チフス』、『天然痘』、『麻疹』または『腸チフス』のいずれかの融合形か、あるいは合併症と推定されており、最近では『マールブルグ病』か『エボラ熱』という説もあります」
「なぜ、そんなにこの病気の研究をいまだに行っているのです?」
プラトンが興味をそそられた顔でスピロに尋ねてきた。
「それは、これが人類の歴史上、年代が特定できるもっとも古い伝染病と言われているからです。エチオピアからエジプト経由でアテナイに伝わったという感染ルートもわかっていますし、ケラメイコス墓地に葬られた遺体も発見されています。さらに一度罹った人は再感染しても致命的な病状にならないということも、歴史上はじめて記載されているのです」
「『二度なし現象』のことかね?」とトゥキディデス。
「えぇ。未来では『獲得免疫』と呼ばれています。トゥキディデス様はこの時の疫病を、ヒポクラテス派の、しかもっとも科学的な『病状記』派の医学用語を正確にもちいて、病状の経過を詳細に記述されています。あなたの医学に関する造詣にも感服する次第です」
トゥキディデスが面とむかって褒められて、すこし恥ずかしそうにうつむいた。ほかの賢人たちもその功績を讚えるような目をむけ、室内は称賛の空気に包まれた。
「ですが——」
スピロはひときわおおきな声で、その空気を断ち切った。