第121話 プラトンとの問答2
「スピロさん、実体は必要ないのです。理性で認識することによってのみ『イデア』の真理に触れられるのです」
「ならばさらに矛盾が生じます。『理性』でしか認識できないはずの『イデア』の影絵である、『野に咲く花の美しさ』は目で見えていますし、『鳥のさわやかな鳴き声』は耳で聞こえています。これはなんとしたことでしょう?」
「なんら矛盾することはありませんよ」
プラトンは落ち着き払って言った。
「なぜなら宇宙や自然など、この世のすべてのものは『イデア』界とおなじように数の法則に従って構築されているのですから」
「ですが、現実世界の太陽や星は誰でも見ることができますよ。灯影された模造であるにもかかわらずね」
「えぇ。ですが『幾何学』を学んだものは、それを数字と計算によって解明でき『イデア』に至ることができるのです」
「なるほど……。たしかにあなたはこのあとの著作で、『数の法則』に従う現象を作ったものこそを『神』とし、ギリシア神話のなかの擬人化された不道徳な神の概念を批判していきます」
「なんと……。プラトン。そなたが『神』を批判するじゃと」
スピロの指摘にソクラテスが恐れおののくような仕草で口を開いた。自分が身に覚えのない『不敬罪』で『死罪』になることを知らされたあとでは、愛弟子がさらに踏み込んだ形で、従来の神を否定していることが信じられないのかもしれない。
スピロはソクラテスのほうに目を配りながら続けた。
「その神の名は『デミウルゴス』——。
『善のイデア』の美しさを模倣して、この物質世界を創造した『創造主』です——。
ですが、どうでしょう。この世はどう考えても不完全な存在でしかありません。人間は悪を働き、あらゆる災いは絶えず、美のイデアが及ばない醜悪なモノもコトもあふれています。我々の世界がイデアの模造だとしても、こんなにも原形に及ばないものですか?。それとも『悪』のイデア、『汚物』のイデアがあるのでしょうか?」
「そのようなイデアなどありません。永遠不変の存在なのですよ、イデアは」
「であるなら……、実はイデアは元から悲惨なほど不完全だったのではないですか……?」
スピロはいじわるげに口元をゆがめた。
「それとも創造神のデミウルゴスが無能で無知で傲慢な神なのでしょうかねぇ?」
「スピロさん、そんな神に対する冒涜を……」
プラトンは珍しく憤りを表情に出して言った。だがスピロはプラトンの弁明を許すつもりはなかった。
「プラトン様、あなたは本質的にわかっているはずです。
たとえば、ソクラテス様は、『生きるために食べよ、食べるために生きるな』と説かれています。ですが、それは理想論であって実際には、食べるために生きている人のほうが大多数です。
『イデア論』とは、理想の世界はこうあって欲しいという建前や哲学を、本来の姿はこのようなものであるという『観念的・寓話的世界』を引きあいにだして、だからこうすべきだと『倫理』や『道徳』を押しつけてることなのですよ」
「つまり『イデア』とはただの『断言された虚構』……ですよね」