第117話 アリストパネスとの問答3
「とてもここでは口にできないレベルです。そのあとに発表された『女の平和』はとくにひどい作品でしょう。この時代の喜劇がそのような形式であったとはいえ、あの作品はわたくしたちの世界では、放送禁止……、あ、いえ、発禁本レベルの下劣さです。しかもこれがあなたの代表作とされているのならなおさらです」
「スピロ殿、きみたちの世界の喜劇が、どのようなレベルか知らぬが、ひとびとはこのアリストパネスの劇に大笑いしておるのだ。それにアテナイはずっと戦争続きでひどい目にあってきた。下劣でもすこしの間だけでも、現実を忘れるられるのだよ」
「男が戦争を終らせるだけの能力がないのに愛想をつかした女主人公が、アテナイの女たちをアクロポリスに立てこもらせ、スパルタと和議を結ぶまでは男と床を共にしないと誓わせる、という筋立て自体は、喜劇としては悪くないとは思います」
「そうだ。そしておんなたちのセックス・ストライキが成功して和平が成功するのだよ。みごとだと思わんかネ」
「あの作品にこめられた平和への願いは理解できます。ペロポネソス戦争の最中に上演され、当時の政治へ抗議したことも素晴らしいと思います。ですが手法が……」
「ふうむ、なにが悪いというのかね。滑稽でいながら辛辣というのが……」
「ですが、男たちが長い革製の『張り型』の『一物』をつけて、おんなたちに迫るなどという猥褻な演出ですよ。あまりにもストレートすぎるのではないですか?」
「ふ、わかりやすくて、よいであろう」
「で、この作品にはどのようなメッセージがあったのでしょうか?」
「どのような……?。簡単な話だネ。これはペロポネソス戦争が終わって欲しいという、純粋な平和への祈りがこめられた作品だよ。特定の誰かを攻撃しようとするようなものではない」
「なるほど、そうなのですか……」
スピロはそれだけ言って黙考した。ふいに室内に沈黙が流れる。壁際でずっと様子を見守っていたエヴァが心配する視線を送ってきたが、スピロは口元をかるく緩めてその答えとした。
「あの劇はずいぶん、人気があったようですね」
スピロはアリストパネスにむかって軽やかに声を弾ませた。
「あぁ、もちろんだとも。あの作品は『レーナイア祭』で上演されたのだが、それはもうすごい盛り上がりだったよ。『騎士』のときのようにね。待て『騎士』も『レーナイア祭』だったネ。どうやらわたしは『ディオニュシア祭』とは相性がわるいのだろう」
「そうですか?。まったくディオニューソス的な作品だと思いますが……」
「なんじゃ、その『ディオニューソス的』とは?」
その造語にソクラテスがすぐさま反応した。
「失礼。これは未来の哲学者『ニーチェ』が説いた芸術衝動のことです。『ディオニュシア祭』の熱狂のように『陶酔的、創造的、激情的などの特徴』があるという意味です」
「また未来の哲学者か。そいつは何哲学なのじゃ」
「ニーチェはソクラテス様以前のギリシャの哲学に影響を受けていると言われています」
「そのニーチェという哲学者はなんと言っているのですか?。このあいだのデカルトという哲学者のように、なにかことばを残していないのですか?」
プラトンが前のめり気味に尋ねてきた。
スピロはその誘いを待っていた。
ゆっくりと全員の顔を見まわす。
このひとことを放てば、おそらくこのなかの誰かに憑依している『悪魔』は反応をしめすだろう。動揺するか、ほくそ笑むか、はわからない。
だが『悪魔』なら、まちがいなく反応するはずだ——。
そして期待に口元をゆがめてことばを紡いだ。
「ニーチェはその著書『ツァラトゥストラはかく語りき』などの著作の中でこう言っています——。
「神は死んだ——」