第22話 光秀、やはり、おまえでは力不足だったな
「どうしたということだ。わたしの名を呼ぶ者がおるぞ」
自分の名を呼ぶ声に明智光秀は、床几と呼ばれる折畳み椅子から思わず立ちあがった。背後に鎮座していた斎藤利三がいかめしい顔で光秀に言う。
「信長公を討ち取ったという鬨の声ではありますまいか」
そこへ別の兵に肩を抱えられながら、痛々しい姿の伝令が光秀の前に歩み出ると、顔をゆがめながら跪いた。
「どうした。信長公を討取ったか?」
「恐れながら、光秀様。信長公討伐先鋒、三宅孫十郎様、安田作兵衛国継様・明智左馬助秀満様が討ち死にされました」
「な、なんと申した」
「先鋒の部隊はほぼ全滅状態でございます」
「ど、どういうことだ。まさか信長公が兵を隠して、我々を謀ったという……」
光秀は動揺のあまりことばに詰まってしまった。それを見て取った五宿老のひとり、藤田伝五が進み出て伝令に尋ねる。
「信長公の嫡男、信忠殿の兵が加勢にきたのか?」
「いえ。それが……、それが、たった三人の小姓に討取られてございます」
「たった三人の小姓……だと……」
光秀の声は消えいりそうなほど小さくなった。圧倒的な戦力差、しかも朝早くから奇襲をしかけたのだ。
信長をひとり討取るのに、てこずるなどという状況をどうして信じられようか?。
光秀が次の一手をどうしていいかわからず、周りに重臣たちのほうに意見を求めようとした。
その時、またあの声がきこえてきた。
「光秀さん。あなたに話がある。こちらに来てほしい」
伝令が傅いたまま、悔しさまじりに叫んだ。
「あいつが……、あの小姓が、我が方の兵を撃破した小姓です」
「ど、どうすればーーー」
「光秀、やはり、おまえでは力不足だったな」
光秀の背後からどっしりと重たい声がきこえてきた。
斎藤利三だった。
ただならぬ気配を感じて光秀がふりむく。そこにおおきく足を広げて、ふてぶてしい姿で座っている利三がいた。
「利三、お主、どうしたのだ。おまえらしくない……」
「黙れ光秀、おまえはもう用済みだ」
ただならぬ利三の雰囲気に、光秀の娘婿で五宿老のひとり、明智光忠が刀の柄に手をかける。
「利三どの、おことばが過ぎま……」
光忠の叱責のことばは、そのまま彼の最後のひと息となった。
利三が突き出した右腕が、まるで槍のように光忠の腹を貫いていた。堅牢な胴鎧をも易々と突き破って、利三の腕が光忠の背中からつきだしている。
「明智光忠どの。おまえは、もっと用済みなんだよ」
あたりの家臣たちが、刀や槍を構えて利三を遠巻きにする。一番正面にいる槍侍が嘆願するような声で叫んだ。
「利三どの!。お控え下さい」
「利三どの……ね。貴様らは俺様が利三だとまだ思うてるか」
利三は家臣たちをぐるりと見回した。
「ふむぅ、なかには使えそうな兵が、まだおるようだな」
利三が天空に腕をつきあげると、空中でなにかを掴むような仕草で、拳を握りしめた。とたんに、家臣たちの顔が驚きにゆがむ。いつのまにか利三の手の中に、どす黒い光を放つ光の矢が幾束も握られていた。その光の矢は矢の形をしてはいたが、まるで生き物のようにぬたぬたとのたくっていた。矢じりは鎌首をもたげ、羽根は断末の虫の羽のようにびりびりと嫌な羽音を響かせる。
利三はぐるりとからだを回転させて、その矢をまわりを取り囲む兵たちに投げつけた。
矢は放射状に飛び出したかと思うと、次々と兵士を貫いていった。
次々と兵士たちがその場に崩れ落ちていくのを見て、明智光秀は呆然とするだけだった。自分の片腕と見込んで長年信頼をおいてきた斎藤利三が豹変し、娘婿の明智光忠が惨死し、いままた古参の腕利きの家臣を一瞬にして奪われた。光秀にすれば、この場で膝をおることなく立っていることだけが、信長の家来として戦場を駆けた男としての矜持。
だが、その矜持だけでは対峙できない敵がここにいる。
「さすが光秀軍の精鋭。なかなかどうして、ずいぶんな数の漢が蘇ったものだな」
利三のそのことばに、はっとして顔をあげた光秀は、さきほど矢に射ぬかれた家臣たちが、ゆっくりと立ちあがってきていることに気づいた。
「おぉ、皆の者、無事であったか。伝五殿も……」
そこまで言って異変に気づいた。立ちあがってきた家臣は、光秀が旧知の者たちではなかった。その顔はまるで伝承で語られる悪鬼そのもの。その体躯からは腐った臭いがまき散らされ、満腔から凶事だけを感じさせる気を放っていた。
「こ、これはなんとしたことだ……」
「光秀、完遂するぞ」
利三が光秀を睨みつけた。その瞳のなかの邪気に気圧されて、思わず足がすくむ。
「な、なにを完遂すると……」
利三は200メートルむこうに見えている本能寺の屋根を見やりながら言った。
「しれたこと、信長を討つのだ」