第86話 プラトニック・ラブって……
突然電源がオフになったように、すべてのモーションがストップした——。
そう思ったとたん、そのまま、エウクレスのからだが地面に崩れ落ちた。
同時に観衆の歓声が止む。こっちはまるで、ノイズ・キャンセリング機器のスイッチをオンにしたように、ふっと音が消えた。
「倒れた……」
だれかがちいさく呟いた。だが、それはまるで大音声のように、スタディオン中に響いて聞こえた。
一瞬ののち、地鳴りが大地を揺らす。エウクレスのダウンに沸き返った歓声だった。
耳を聾さんばかりに辺りであがる咆哮めいた歓声に、スピロは思わず手で両耳をふさいだ。だが、マリアはその耳の近くに顔を近づけて言った。
「だろう?」
そのことばはスピロに届いたかどうか微妙だった。
スピロは倒れたエウクレスから警戒をとかずにファイティングポーズをとっているセイの姿に釘づけになっていた。背中で息をするほど疲れていたが、臨戦体勢を崩さずにいるその雄々しい姿に見とれずにはいられないようだった。
スピロは一点を見つめたまま、うわごとのように口走った。
「助けだすべき揺るぎなき相手がいて、それが叶わないなどと微塵も疑いもせず、日々、その日のためだけに、己の身体と精神を磨いているのですか……」
「なるほど強いわけです!」
「それに美しい……」
ふいにプラトンがいくぶんうっとりしたような口調で呟いた。
「マリアさん。セイさんは強いし、美しいです。あの光る汗、あの細身の体、ひきしまった臀部、適度に隆起したあの腹筋……」
「おい、プラトン。おまえが言うと、どうにもいやらしく感じるぞ」
プラトンの表現になかばクレーム気味に、マリアが当てこすった。
「そうですか?。でも、あんなしなやかで、うつくしい肢体を抱きしめられたらと思うと、つい興奮してしまうというものです」
「それが『プラトン的愛』ってわけですか?」
スピロがいくぶん侮蔑をこめて言うと、プラトンは特に悪びれることなく頷いた。
「ええ、まぁ、そういうことなんでしょうね」
「はぁ……。こんなのが本来の『プラトニック・ラブ』だとは……」
スピ口のいくぶん呆れ返ったような嘆きにマリアは驚いた。
「おい、ちょっと待て、スピロ。『純愛』という意味の『プラトニック・ラブ』って、そういうことなのか!」
スピ口は今度は嫌悪感を眉間いっぱいにして言った。
「ええ、残念ながら……。わたくしたちの世界で『精神的恋愛』と意味で言われているのは、実は男性と少年との愛のことで、『プラトン的愛』という意味です」
マリアはプラトンの肩の上で、思いっきり体を前傾して、プラトンの顔をのぞきこんでから言った。
「おい、プラトン。なにが『純愛』だ。本家本元は『下心』の塊じゃねぇか!」