第68話 古代ボクシング(ビュクス)とは
古代オリンピックにおいて、ビュクスの競技場はリングのような区画ではなくスタディオンの中央で行われた。
試合開始の合図がかかると、まず、選手は互いにグローブを軽く合わせるなり「殺してやる」と怒鳴りあった。しかしいきなり殴りかかったりしない。ゆっくりとはじまる。三分と時間に制限がある現在のボクシングと異なり、時間は無制限なのだ。選手たちはお互いにジャブを交わしながら、慎重に様子をうかがう。この競技では不用意に強烈な一撃を喰らわないことが一番大事だった。
この競技は相手を倒すものではなく、相手が戦闘意欲を喪失するまでパンチの応酬をするもので、気絶して戦闘不能になるか、人さし指を立ててギブアップという合図をするまで終わらなかった。それゆえにテクニックよりもパワーが重視されていた。
テクニックでは、相手の戦意を断ち切れない、ということなのだろう。
ただビュクスでは、拳だけでなく肘や腕などを打撃に利用するのも許されており、ギブアップするまでストップがかからなかったので、死人がでることも少なからずあった。
ルールでは相手を殺しても反則にはならなかったが、基本的にタブーとされてはいた。それは人命云々の問題ではなく、古代オリンピックがあくまで神に捧げる『神事』だったからにほかならない。
選手たちはヒマンテスと呼ばれる30センチほどの雄牛の革をオリーブ油や動物の脂肪でやわらかくして、拳から手首にかけて巻き付けていた。ソフトなグローブと呼ばれていたが、現在のようにクッションがはいっているわけではなく、ただ殴る指の関節を守るためのものでしかなかった。
しかし、ちょうどこの頃。つまり紀元前400年前後には、パンチの恐怖を増すシャープなグローブが流行していて、選手はみなそのグローブを巻き付けていた。
それは羊革のギプスで肘のあたりまでおおい、従来よりも硬い革ひもを拳にきつく巻きつけているスタイル。パンチの破壊力はおそらく、スパナで殴られるような衝撃だったであろうと言われている。
このシャープなグローブの腕の羊革は汗や血を拭うのにちょうど良く、さらに腕や肘での攻撃に相応に破壊力を増幅させるのにも役立っていた。そのために鋭いパンチで皮膚が切れることは茶飯事で、ボクシング選手の顔に刻まれた傷は「ミュルメケス(蟻)」と名前がついているほどであった。