第66話 ソクラテスとプラトンとの対話3
プラトンの顔がこわばった。ソクラテスもけわしい形相でプラトンのほうを仰ぎ見る。
「あなたは入手できるかぎりのデモクリトスの書物を焼き払って言ったそうです……。
『彼の著書で多くの言葉を費やす者は、いかなる正しいことをも学ぶ能力がない』と」
「そんな……。スピロさん。まさかわたしがそのような卑劣なことを……」
「あなたは、デモクリトスの『原子論』を怖れていたのではないですか?。なぜなら、あなたが著した数多くの著書には、同時代のありとあらゆる哲学者、詩人、劇作家、政治家たちが登場しますが、なぜかデモクリトスだけは、一行も触れられてないんですよ」
「それはあまり親交がなかったからだと……」
「違うでしょう?。原子論はあなたやソクラテス様にとって都合が悪かったんですよね」
スピロがそう決めつけてきた口調にプラトンがなにか反論しかけたが、ソクラテスが静かな声で、だがとても重々しい口調でわってはいってきた。
「プラトン、もしそれが本当なら、おまえはわしの弟子失格じゃ。自分の考えとちがう思想にであっても、それを『問答』を通じて相手を論破すべきなのだ。相手の著作を焼き払うなど……」
「老師、申し訳ありません。ですが、おそらくそれもソクラテス様の教えを守ろうとしたからの行動だったのではないかと想像するのですが……」
未来の行動の言い訳と謝罪をさせられているのが、少々申し訳なく思えたので、スピロはすぐさま話題を元に戻すことにした。
「まぁ、将来のあなたが行うことを、今、悔やんでもいたしかたありません。それにどちらかと言うと、最後のひとつの『哲学』のほうが問題ですから……」
プラトンがスピロの出した助け舟にすがった。
「そ、そうです。スピロさん、最後のひとつはなんなのですか?」
「数学者でもある『ピタゴラス』によって説かれた『万物は数なり』という哲学です」
「宇宙や自然などこの世にあるものすべてが数の法則に従っていて、人間の主観ではなく数字と計算によって解明できるという思想です。
そこには上下に秩序づけられた『イデア』と呼ばれる世界があると唱えられています。その真理を探求する『知を愛し求める哲学』とでもいいましょうか」
「わしもそのピタゴラス派の思想には影響を受けておる。だから数学や幾何学の分野において、正三角形や正四面体という普遍的な観念と同様に、哲学の分野にも普遍的な善や普遍的な美の観念が存在すると考えておる。それこそが真の『イデア』だとわしは説いてきた」
「ソクラテス様、本当にそれだけでしょうか?」
プラトンが遠慮がちに疑義をはさんできた。
「わたしはこの世にあるいかなるものも、『イデア界』から分け与えられた『イデア』によって、普遍的な性質を与えられると考えています。
たとえば、山々や、鳥、動物たちが美しいのは、それらがイデア界から与えられた『美のイデア』の性質の一部を持っているからです。
おなじように、善というものがこの世界にはあるのは『イデア界』から分け与えられた『善のイデア』のおかげであって、あとから身につけられるものではないのではないでしょうか?」
「それはどうじゃろうか?。プラトン……。『イデア界』から与えられた「イデア」は、完全なものではない。一部をわけ与えられただけじゃ。
哲学はそれを『イデア界』に存在する完全なものに近づけるものではないのかね?」
「ですが、老師。美しい花々は、どうやってそれ以上の美しさを目指せるというのです。
イデアの似姿として存在しているものたちは、いかなる変化を受けることもないのですよ」
スピロは強い口調で持論をぶつけあいはじめた二人をみて、ため息をついた。予想していたとはいえ、これでは競技がはじまっても、問答は終わらないかもしれない。
スピロはすっと息を吸ってから、強い口調で言った。
「結局、この哲学だけが生き残ります!」