第64話 ソクラテスとプラトンとの対話1
ボクシングは、太陽の光がお互いの選手の目に入らないように、正午前後に開始される。
しかし午前を待たずして、スタディオンは観衆でいっぱいになっていた。昨日の記録尽くしのペンタスロンの未曾有の興奮が冷めやらぬ、昨日の今日では無理からぬことで、ふたたびあの興奮を味わいたいという期待や渇望が場の空気を支配していた。
スピロはソクラテスとプラトンと一緒に最前列に近い場所にいた。今日も観衆たちが場所を譲ってくれたのだが、今回は高名な哲学者への尊敬の念というより、むしろスピロが『あの』タルディスと近しい者であることへの敬意と配慮が感じられた。
マリアが一時的にタルディスの護衛に回ったため、タルディスが競技場に入場するまでは、ふたりの護衛はスピロひとりの役割だった。困ったことに、プラトンはすっかりしょげかえっていて、ソクラテスはなぜか怒り心頭であった。
プラトンはお気に入りのセイがいないことで肩を落としているのはわかるが、ソクラテスがなぜ腹をたてているのか、理解できなかったので素直に訊いてみることにした。
「ソクラテス様、なぜお腹立ちになっているのでしょうか?」
「何者かにわしが狙われているというのが気にいらんのだ。わしはギリシア中の人々に尊敬こそされ、恨みをかうような生き方などはしておらん。あるとしたら悪妻のクサンティッペくらいのものだろうて」
スピ口は怒るというよりもあきれかえる思いだった。哲学者というのは、まわりを批難する客観性にはすぐれているのだろうが、自分を客観視する力はとんと持ち合わせてないらしい。
いや、元から都合よく目を伏せていた男だ。端から客観視する気もないのだろう。
ソクラテスの驕った態度を戒めても仕方がないとは思ったが、自分がどれほど矮小な存在であるかくらいは思いしらさねばならないと考えた。
対立と懐柔によって師弟関係を揺さぶることで、悪魔が正体を現すかもしれない。
「ソクラテス様、わたしたちの世界ではフィロソフィアは100種類もあると言われています」
「100種類……。なんとも煩雑じゃな。フィロソフィアは、そんなに乱造されるものではない」
「ただ、大局的に見れば3つの種類に大別されます」
「ほう、興味深いですね。三大哲学……ですか。どのようなものがあるのです?」
落胆していたはずのプラトンも、興味をひかれる話におもわず顔をあげた。
「ただ……。聞かれる勇気はおありですか?」
「それはどういう意味かね?」
「ソクラテス様、プラトン様が、両名様ともが気分をおおきく害される可能性がある、ということです」
「ふん、どっちにしても、知を求めることを止められん。それにどんなことを言われようと、たちどころに論破してみせるわ。ぜひ聞かせてもらおう」
ソクラテスは腹を括ったようだったが、プラトンはいくぶん不安げな様子になった。