第63話 アリストパネスとの対話4
アリストパネスがエヴァの目をじっと見て言った。エヴァは自分を見つめる目の奥に、ソクラテスの見解に納得してない、という否定的な印象を見て取った。
「なにか三段論法的にうまく話をずらされているような気がします」
「そうなのだネ。さらにその流れから、足りないものを求めようとするエロスこそが人間のあるべき姿で、そのために『哲学』を学ぶべきだというところに帰結しているのだ」
「まぁ、ソクラテスさんらしいといえば、それまでですが……」
エヴァは苦笑いをした。それを肯定的に受け取られたのか、アリストパネスの舌鋒がますます強くなっていく。
「だが、一番腹立たしいのは巫女の存在だ。あれはソクラテスが作り出した架空の人物なのだよ。それをあたかも薫陶を受けたかのように語って、自分の説を彼女に代弁させたのだ」
「でもそこにいらしたアリストパネスさんは、しっかりとその煙に巻かれてしまったのではないですか?」
「わたしだけではない。悲劇詩人アガトンも医者のエリュクシマコスやパイドロスたちもだ。最後はみなソクラテスを称賛する始末だ。作り話だというのにだよ」
「あら、アリストパネスさん、ひとのことを責められるのですか?。さきほどのアンドロギュノスの話、じつは作り話なのでしょう。みんなを説得するために、その場でこしらえた大嘘ですよね」
「な、なにを言うのかネ」
「だって、ギリシア神話をひも解いても、そんな話、どっこにもでてきませんでしてよ」
「だ、だからなんと言うのかね。それがたとえわたしが作った与太話だからと言って、なにを咎められることがあるのかネ。ソクラテスの話のすり替えのほうが……」
「いいえ、『大問題』なのですよ」
「大問題?」
「ええ、禍根ともいえる大問題をあなたは未来に残したんです」
「未来に残した……」
アリストパネスは一度反芻してから、勢いこんでエヴァに迫った。
「それはわたしのことが、未来でも認められているということかネ?」
「まさか。ソクラテス、プラトン、ヒポクラテスさんは誰でも知っていますが、アリストパネスさん、あなたの名前はそれほど……」
エヴァはそれ以上言わせるなという意味をこめて、肩をすくめてみせた。その態度に気分を害したのか、アリストパネスが声を荒げた。
「で、では、わたしがどんな大問題を未来にもたらせたというのかネ!」
「あなたがこの時、語った『半身となった人間たちが、元に戻ろうともう片方を探している』という話。これはのちの『キリスト教』と結びついて、『一夫一婦制』の考え方の元になったんです。そのため未来ではお互いの配偶者のことを、こう呼ぶようになりました……。
One’s better half【一方の片割れ】と……。
あなたの語った嘘話が元で、『カトリック』という信仰では『離婚』を認められないことになっているんですよ」
「ふん。わたしの作り話に影響されて、そのような呼び名や考え方が受け入れられたのが、なんの問題があるかね。そう語り継がれているのなら、わたしはむしろ誇らしいよ」
「あなたにはそうでしょう。でもね、それが『大問題』なのです」
「なにが問題ある。わたしの創作を都合よく引用しただけのように思えるがネ」
「この話はね、東洋に伝わって、ちがう形でみんなに信じられるようになったんです」
「『運命の赤い糸』……っていうロマンチックな話になってね」
「それがどうしたと……」
「長年信じられてきたこの『赤い糸』の逸話が、あなたの作った根も葉もない嘘っぱちが元になっていただなんて……」
「『乙女』にとっては『大問題』ですわ」