第41話 ゾーイ、あなたの出番です
『ゾーイ、あなたの出番です。タルディス様を目覚めさせてください』
タルディスがふい打ちを喰らって気絶した時、スピロがゾーイの心に語りかけてきた。ゾーイはなによりも、姉が感応力を使ってきたことに驚いた。
『お姉さま……。どうやって語りかけて……』
『ゾーイ。これはわたくしの精神感応力ではありませんよ。あなたとわたくしは、現実世界ではすぐ隣にいるのです。これはあなたの『テレパシー』能力を利用して、現実世界経由で話しかけているだけです』
『あぁ、そうでした』
『わたくしにはあなたのような能力はありません』
その時、ちょうどタルディスに憑依してセイが満場の喝采を浴びているところだった。
「でも、お姉さま。セイさんが憑依して競技に参加するんじゃないのかい」
「セイ様は一介の高校生です。期待しすぎてはいけません。はやくタルディス様を目覚めさせるのが先決です」
「お姉様、お言葉を返すようで申し訳ないけどさ、ここはみんなでセイさんを応援するのが筋ってぇもんじゃあ……」
『セイ様に勝たせてしまってはならないのですよ』
あまりにも不遜なことばが飛び出し、ゾーイはびっくりした。一瞬、悪魔に巣くわれたのは実は兄なのではないかと思った。反射的に帯刀していた剣に手が伸びそうになる。
『おちつきなさい、ゾーイ』
『姉さん。いくらなんでも言っていいことと……』
『セイ様の勝ちはタルディス様の勝ちではないのです!』
その言葉は力強く、ゾッとするほどの殺気めいた迫力に満ちていた。
『わたくしたちの使命は、タルディス様を優勝させること。それは誰かが代わりに優勝を勝ちとってあげることではありません』
『じゃあなにかい。タルディス本人を勝たせねぇことには、いくら、セイさんが勝とうが……』
「未練が晴れるわけないでしょう」
スピロは誰にも悟られないようにゾーイをにらみつけた。
「ゾーイ、あなたの『精神感応力』をつかって、タルディス様の心奥に働きかけて、目覚めさせてほしいの」
「でも……」
「あなたなら、あのみんながリグレットと呼んでいる、不思議な力を借りなくてもできるはずです……」
スピロはゾーイに有無を言わせなかった。
「なぜなら、それがあなたが『サイコ・ダイバーズ』に選ばれた理由なのですからね」
「わかりましたよぉ。じゃあ、精神を集中させておくんなさい」
「わたくしがマリア様、エヴァ様に協力をお願いします」
マリアとエヴァの協力をとりつけ、精神集中の時間をもらうと、ゾーイはひらすら心を澄ませ続けた。だが、タルディスの意識をトレースするのは並大抵のことではなかった。なにせほんの数百メートルの周辺に四万人もの人が押しかけているのだ。四万人の意識がタルディスの意識へのアクセスを邪魔をする。
ゾーイにとって意識や精神を探し出すのは、そのひとの体臭をかぎながら、姿の見えない人を捜索するようなものだった。
ゾーイはずっとセイを、タルディスを見つめていた。
だが、まず似たような意識がゾーイを迷わせる。タルディスのからだがある場所はわかっているのに、そこに紐付けられている意識や精神を特定するには、酷似した意識が邪魔をして紛らわしかった。
さらに歓声や興奮がゾーイの集中を阻んだ。わーっと歓声があるたびに、何度も集中力がとぎれて、最初からやり直させられる。体を躍動させ、思った以上に健闘しているように感じてはいたが、ゾーイは微弱なタルディスの意識を探し出すのに必死で試合の勝敗はまったくわかっていなかった。
ゾーイがようやくタルディスの意識を捉えたのは、スタディオン走でセイが転倒するように倒れこんだ瞬間だった。セイの強い意志が、気力が、ふっと途切れた瞬間、タルディスの眠ったままの意識をキャッチアップした。
『タルディスさん、目覚めておくれよ』
ゾーイは呼びかけながらタルディスの意識の奥底へと、みずからの意識を沈み込ませていった。目の前に『自我』の下に積層となっている『無意識』の厚いベールが現れた。
水をかくようにして、そのベールを掻き分けていくと、その底にタルディスが横たわっているのがみえた。
まっしろな塑像なような姿——。
『タルディスさん。起きておくれ!』
タルディスはそのひと言で、待ちかまえていたかのように目を開いた。そのとたん、真っ白なからだに、色がさしはじめ、肌は日焼けした黒々とした色に、髪の毛はツヤツヤと潤いをもちはじめた。
「きみは……、そう、ゾーイさん」
ゾーイはタルディスのすぐ横にすっくと立つと、手を差し出して言った。
「そろそろ起きてくれないかい」
「それはできない。もうわたしはこのまま消え入るつもりだ……」
「それはどうしてだい?」
「わたしは、またしくじったのだよ。なにかをぶつけられて競技中に意識をうしなった。いや、いっそのこと死んだほうがよかったかもしれん」
ゾーイは差し出した手をタルディスの目の前にまで近づけて言った。
「優勝したいんじゃないのかい?」
「優勝したいさ。もうあの屈辱の日々は終わりにしたい。だが……もう……」
「今、あんたがどうなっているかわかるかい?」
「どうなってる?。さっき言ったはずだ。わたしはなにかぶつけられて……」
「あぁ、その通り。でも、あんた、今、勝ってるんだよ」
「勝ってる?」
「もうすこしで優勝なのさ」
「そんな……ばかな」
タルディスはなにかに気づいて、ハッとした。
「きみらが、きみらが、なにかをしたのか?。わたしを勝たせるために」
「さあ?、あたいはあんたの意識を目覚めさせるので精いっぱいでねぇ、よくわからないのさぁ。でもひとつだけわかってることがあるよ」
「なんだ、なんでもいいから教えてくれ」
ゾーイはタルディスにむかって、念をおすようにゆっくりと言った。
「次のレスリングを勝てば、あんたの優勝だってこと」
「レスリング……。わたしが一番自信のある種目だ」
「あんた、優勝したいんだろ?」
たくらみに満ちた目で言った。兄のスピロを意識した、もったいぶった言い方。
「あぁ、もちろん、もちろんだとも」
ゾーイはからだを屈めて、タルディスの手を無理やり握ってから言った。
「じゃあ、いますぐ目をおっ開いて、やることやってきな」