第22話 ペンタスロン(五種競技)開始!
プラトンが根負けして、マリアを肩にかつぎあげてくれたおかげで、セイへのセクハラ行為はぴたりとおさまった。少女を肩車したままで、痴漢行為を続けるのは、さすがに難しいというところなのだろう。
それでもプラトンはあきらめきれないのか、今度はセイのまうしろに位置どって、ぴたりとからだを押しつけてきた。プラトンの分厚い胸板がセイの背中に沿うようにくっついた途端、悪寒のようなものが背筋を走って、おもわずぶるっとからだが震えた。
「さぁ、ペンタスロンがはじまります」
さらにプラトンが背後からセイの耳元で囁くように言った。
「ペンタスロン?」
セイは頸を反対側に逃がしながらも、素直に聞き返した。
「槍投げ、円盤投げ、幅跳び、短距離走、そしてレスリングの五種競技です。このうち最初の3つを勝てば優勝。決まらなければ上位者で短距離走《スタンディオン走》を、それでも決まらなければ、上位ふたりがレスリングで決着をつけるのです」
「現代の十種競技のルーツというわけですね」
エヴァが思わずそう漏らすと、プラトンが怪訝そうな視線をエヴァにむけた。
「十種?。まさか。人間にそんなに多くのことができるはずありません。この五種競技を考案したのは、英雄イアソンと探検隊アルゴノーツですよ。彼ら神の子供たちが黄金の羊毛を探す旅の途中で、誰が一番万能だったか決めようとして生れたものがこの五種です。十種など……。神を超えられるわけがありません」
「そうだとも……」
ソクラテスがプラトンのことばを受けて続けた。
「ギリシア人はこのペンタスロンの勝者こそをもっとも高く評価しておるのだ。瞬間的な力を引き出す集中力、重いものを投げ飛ばす腕力、空を舞う跳躍力、風のように走れるスピード、そして相手をねじ伏せる筋力と技術。これら多岐にわたる能力において、調和がとれた人間こそが、より神に酷似しているものと考え、みんながこれを目指すのだ。どれかひとつの能力に秀でた人間より、万能であることのほうがどれほど凄いことか……」
「は、オレたちの世界じゃあ、十種競技はクソほど人気がないがな」
マリアがプラトンの頭の上から興味なさげに、悪態まがいの意見を吐き出した。
競技場全体が熱気に包まれ、ざわざわとしはじめたころ、藍染めのローブを着て頭に花輪をのせた人々が入場してきた。
人数は十人。彼らはトラックの真ん中あたりにあるボックス席に座った。スポーツの審判というより、結婚式に招待された来賓のようだ。
彼らの前には象牙と黄金の机。そして、その上に勝者に与えられる最高の栄誉の品が並べられている。オリンピュアの神聖な木から切り取ったオリーブの冠だ。
「あれは誰なのです?」
エヴァがプラトンに尋ねた。
「あれは審判団ですよ、エヴァさん。十人いますが、そのなかの三人が今回のペンタスロンの審判です。残りの七人のうち、三人が馬術競技、三人がボクシングや長距離走など残りの競技、そしてひとりが、全体を統括する責任者です」
ラッパが高らかに鳴った。布告の使者が最初の選手の名前を読みあげた。
「アルカディアのオイティメネス!」
その呼び出しに応えて、西側の丘をくりぬいたトンネルから選手が飛び出してきた。
まぶしい光のなかに現れた選手、オイティメネスは、たちまち四万人の観衆の大喝采を浴びた。
「やっぱり、素っ裸のまま行うのですね!」
エヴァはそう言うなり、片手で顔を覆った。
満員の観衆の前に躍り出てきた素っ裸の選手は、頭からつま先までしたたり落ちるほど香油が塗られていて、てらてらと全身が黒光りしてみえた。カールした黒髪からもしずくが垂れている。
続けて次の名前が呼ばれ、裸の選手たちが次々と入場してくると、自分の故郷の選手やひいきの選手へ、威勢のよい声が飛び始める。
選手たちは、自分こそが神に一番近い者である、と誇示するかのように、自信に満ちあふれた表情で優雅に行進していった。
タルディスは十三番目に呼ばれた。
「アテナイのタルディス」
入場してきたタルディスは観衆にむかって手を振りこそしたが、どうみても気分が乗っているようには見えなかった。
「あぁ、よかった……」
思わずスピロがため息まじりに声を漏らした。
「タルディスさんが、大会に出場するところまでこぎ着けられました……」
「ここなら、こんなに人に見られてる場所なら、タルディスさんを狙う不届きモンも手出しはできやしないねぇ」
ゾーイも嬉しそうに顔を輝かせた。
「スピロ、ゾーイ。そんなことで喜んでも仕方ねぇぞ。タルディスが優勝しなきゃ、ミッションクリアとはなんねぇんだからな」
マリアがシニカルな口調で喜ぶ気持ちに水をさした。が、セイもそれには同意見だった。
「あぁ、マリアの言う通りだ。ぼくらはまだタルディスさんを勝たせる方法をまったく持っていない」
「スパルタのヒッポステネス!」
最後のひとりが呼びだされると、ひときわ大きな歓声が沸き起こり、スタンディオンが期待でおおきく膨らんだ。
全部で二十人の選手たちが、なり静まることのない歓声の雨のなか、整列をする。